2025年03月15日

週末シェフの憂うつ

週末シェフの憂うつ

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 数年前の年末にカミさんが外出先で転倒して腕を骨折してしまい家事が出来なくなってしまった。すぐ目の前に迫っている新年のおせち料理の準備もできなくなって急遽ぼくがカミさんの指示を受けながら作ることになった。

 以来慣れない料理で食事の準備をすることになって試行錯誤していたが、半年くらいで幸いカミさんの腕も何とか料理できるまでに回復したので元に戻しても良かったのだけれど、折角料理するという事に慣れてきたので週末の晩飯だけでも作ろうというようになり、週末シェフの誕生となった。

 メニューはカミさんに教わる他にもテレビの料理番組やグルメ関連のバラエティ番組、はたまたYouTubeや料理アプリのクックパッドやデリッシュキッンなど意外と料理に関する情報が身の回りにはあるものだ。

 手順や段取りがまだ手馴れていないのか初めてのレシピで作るのはちょっと緊張する。一度はレシピ通りやってから自分なりのアレンジをしたいなぁ、とは思うのだけれど、脇で見ているカミさんに「これくらいで良いのよ…」とか「それじゃ、〇〇だわよ…」とか言われるとドキッとする。

 やってみて実感するのだけれど、一日三回の食事、それを毎日料理するという事は大変なことだなぁ。料理と一言でいうけど、そこには家族の好みとか、季節の旬とか、家族のための栄養や成人病への配慮、もちろん食中毒なんかの衛生面も大事だしそれに何と言っても家計との相談事でもある。

 それをカミさんはぼくや同居していた両親のために50年近くもやっていたのだから頭が下がる。ぼくは新しいメニューを作るたびに写真を撮って記録しているのだが、それももう250種類以上になった。それでもたった週二回の晩飯のためにいろいろ悩んでいる。ましてや冷蔵庫にある有り合わせの材料で…なんてまだまだ。週末シェフの悩みはつづく。

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2025年02月24日

Cover Story

Cover Story 蓋の話


DresdenDSC03350.jpgDresdenのマンホールとマンホールのある「君主の行列」の通り
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 普通Cover Story(カバーストーリー)と言えば、雑誌の表紙にまつわる特集記事でその時のcover は表紙のことを指している。Cover Storyにはもう一つ意味があって、辻褄を合わせるための作り話という意味もあるらしい。つまり嘘をcoverするための作り話という事だ。でもここではcoverは「蓋」つまりマンホールの蓋の話というつもりで、もちろん英語にはそんな表現はないが…。要は蓋の話(Cover Story)である。英語にそんな意味はないと言われてしまえば確かに「身も蓋もない」話ではある。

 ぼくがいつ頃からマンホールに、特にマンホールのデザインに興味を持つようになったのかはよく覚えていないが、今住んでいる近くに以前はカラーマンホールのメッカといわれて当時は珍しかったカラーマンホールが多数設置されている場所があることやヨーロッパ、特にドイツで格調高いマンホールに出合えたことがきっかけかもしれない。

 例えば旧東ドイツのDresden (ドレスデン)で出会ったマンホール。ドイツには街の紋章が入った蓋が結構あってぼくはそれが気に入っているのだけれど、それは州立歌劇場のゼンパーから石畳の道を川に向かって下った所にあり、古い紋章が石畳とマッチして渋い雰囲気だ。蓋の刻印を見るとアイゼンハマー社(Eisenhammer Dresden)の製品であることがわかるが、この会社はソビエト時代以前から東ドイツで操業していた工場で、1945年に工場は一旦ソビエトによって解体されたけれど、1960年にロシアの技術提供で再建されたらしい。

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kanalfinger-gr.jpg映画「第三の男」より


 その蓋の縁には国際基準の欧州のマンホール規格(1994年から)であるEN124の刻印があり同時にその元となったドイツ工業規格のDINの番号も表示されていることから、その過渡期に製作されたものと推理できる。蓋に刻まれた情報を読み解くのも楽しみの一つだ。足元にあって普段はあまり注目されないマンホールだけど、社会を支える機能もしっかりとはたしている。そのために決められた性能基準も国によって、また時代によっても異なるしデザインも特に東ヨーロッパでは激動した歴史の証人になっている場合もある。「第三の男」や「ソハの地下水道」などの映画にだって登場する。

 以前は旅先などで立ち止まってマンホールの写真を撮っていると変な目で訝し気にみられたけれど、最近はManholer(マンホーラー)なる名前もついて蓋フェチが増えたせいかそういうことは少なくなった。できればこれからも旅先などで素敵なカバーに出合いたいと願っている。
という訳で今まで出会った素敵な蓋の面々をこれからもサイドバーで折に触れてCover Storyとして少しづつ紹介してゆきたい。なんと地味な企画w。


竹ノ塚IMG_7749.JPG竹ノ塚/足立区とベルモント市との友好都市記念マンホール

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*普段はマンホールなど足元の世界には殆どの人が関心もないと思いますが、先般の八潮での大規模な道路陥没のような事態が起きると、ぼくらの足元で今どんなことが起きているか関心を持たざるを得ないと思います。当たり前の世界、当たり前の日常が何に支えられているか、マンホールへの関心を端緒にぼくも考えるようになりました。


and also...


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2025年02月20日

キーンさんの心に残る言葉...

キーンさんの心に残る言葉...

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 2月24日でドナルド・キーンさんが亡くなって丸六年になる。キーンさんはその著「日本人の質問」の中でこう言っている。日本人は初対面の外国人に日本料理のこれは食べられるかとかよく聞くが「…口に合わないものを外国人に食べさせたくないと思うのは、日本人の親切心のあらわれと思われるが、その裏には"日本の特殊性"という意識が潜在している…」と日本人の特殊主義のようなものを見抜いている。

 例えば「日本語は難しいでしょ」と言うが、世界には東欧系の言葉のように難しい言語は沢山あるのだけれど、本当の日本語は外国人には無理だと思っている。歌舞伎にしたって、能にしたって会場で外国人を見かけると何の根拠もなしに「わかるのかしら…」なんて思ったりして。

 もちろんそんなことはぼくら日本人がドイツのバイロイト音楽祭に行けば、日本人にワグナーの音楽が分かるのか、みたいな反応には会うので言わば「文化の血の驕り」みたいなのはどこの世界にもあるのだけれど、それが日本には強いように思う。この「特殊主義」みたいなものは民族のアイデンティティとは少し違って、とにかく日本文化の多方面で自分たちは特殊で他からは中々理解されにくいという信仰みたいなものがはびこっているような気がする。

 例えばドイツで言えば勿論ドイツなりのアイデンティティはあっても、その底流に西欧文明というものへの心理的なしっかりとした親和感みたいなものがあるのだけれど、それでは日本に中国文明に対するそういった親和感が今あるかというと、それは中々素直に認めたがらない心理が働いているらしい。難しいことはよく分からないけど、どうもそうなったのは日清戦争以降で、それ以前は文化人たるもの教養の基本はヨーロッパ人にとってのラテン語のように中国文化だった。(逆に日本文化は中国文化の亜流だと自虐的に言う日本人もいるが、それにもキーンさんは異をとなえているが…)

 そこらへんはキーンさんも「日本人の美意識」の中で少し触れている。さらに日本文化の特殊性ということについてキーンさんはそれを認めつつも、日本人が世界と分かり合える道筋を「特殊性の中にある普遍性」という言葉を示してぼくらに勇気を与えてくれているので、少し長いけれど引用をしておきたい。それはぼくの生涯の珠玉の言葉となっている。

…日本の全てが西洋を逆さまにしていると書きたがる旅行者は現在でもいるし、一方で日本の特殊性を喜ぶ日本人も少なくない。
 が、私の生涯の仕事は、まさにそれとは反対の方向にある。日本文学の特殊性--俳句のような短詩形や幽玄、「もののあはれ」等の特徴を十分に意識しているつもりだが、その中に何かの普遍性を感じなかったら、欧米人の心に訴えることができないと思っているので、いつも「特殊性の中にある普遍性」を探求している。

 日本文学の特殊性は決して否定できない。他国の文学と変わらなかったら、翻訳する価値がないだろう。日本料理についても同じ事が言える。中華料理や洋食と違うからこそ、海外において日本料理がはやっている。が、いくら珍しくても、万人の口に合うようなおいしさがなければ、長くは流行しない。納豆、このわた、鮒鮨などは日本料理の粋かも知れないが、日本料理はおいしいと言う時、もっと普遍性のある食べ物を指している。」 (日本人の質問)


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 *キーンさんと親交のあったアメリカのタフツ大学のチャールズ・イノウエ教授はこう述べています。「…キーンさんはずっと日本のよいところを語ってきたわけなんですけれども、いまになって、もう少し、悪いところも言わなければならないけれど、アメリカ人として言うのはつらくて、できないと。愛する日本を外国人として批判するのではなく、日本人として苦言を呈したかったんです」
それに対してキーンさんは…

「あなたが言うように、もっと伝わるようにやれればよいのだけど、私が懸念しているのは、日本人は私がいかに日本を愛しているかを語ったときしか、耳を傾けてくれないことだ」(2014年1月14日/チャールズ・イノウエ教授談/NHK サイカルjournalより) 耳の痛い話です。

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2025年02月17日

指定席

指定席

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 毎日のように公園を散歩していると同じ場所で同じような光景に出合う事がある。自然観察園の池の芦原ではアオサギに出合う事が多いのだけれど、彼はいつも倒れた木を止まり木のようにしてじっとしている。ここが彼の指定席なんだな、と。

 公園の丘の上に行くといくつかベンチがあって、それぞれのベンチを指定席としている人たちがいるようだ。それは曜日と時間によって異なっているが、どのベンチもその人のライフサイクルに組み込まれた大事な指定席のような気がする。

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 うららかな日の午後などに公園のいつものベンチで読書をしている人を見かけると、その人にとってはそこは何物にも代えがたい大切な場所なのだと感じる。人生に指定席があるということは素晴らしいことかもしれない。でも、考えてみればそれは約束された場所ではなく自分の心の中だけの特別な場所なのだ。

 心の指定席は列車の指定席のようにチケットがあるわけではないので、当たり前だがいつでも誰でもが自由に使うことができるものだ。まぁ、アオサギくんなら他の鳥が指定席にいれば脅してどかせることもできるかもしれないけれど、人間の場合そうもいかない。

 となると、自分の指定席に先に誰かが居たりすると途端に心にさざ波が立つような…。例えば、ぼくの通っているスポーツジムのロッカールームは自由にどのロッカーでも使う事が出来るのだけれど、自然と自分がよく使うロッカーの場所は決まってきて、既に先に使われていると何となく落ち着かないような…。

 というわけで、ぼくらは今日も安定したそれぞれの指定席を求めて彷徨うのかな。


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  *大昔ドイツにいる時分、下宿の近くのKneipe(クナイペ…レストランと飲み屋をあわせたような)によく晩飯を食べに行ったことかあるんですが、その際好きな場所に座れと言いながら座ろうとすると「そこはダメだ」と言われる席があったりして面食らったのですが、何回か行っているうちにそこはよく見かける近所の常連のおじさん達の席だと知りました。

 ドイツではそういう席をStammtisch(シュタムティッシュ)といって常連客用の席があります。Reserveの札が立っている場合もありますが、ぼくの行っていた店は何も置いてなかったのです。

 下宿のすぐ近くだったのでそれでも通い続けていたらある時、こっちに座れみたいなジェスチャーで案内されたのがシュタムティッシュの一角でした。何だかその地域に受け入れられたようでとても嬉しかったのを覚えています。
 


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2025年02月14日

お引越しはしたのだが…

お引越しはしたのだが…

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使い慣れたソネブロが3月でなくなるというので、どうしようか考えあぐねていたけれどブログを書くことがもう二十年来生活の一部になっているので移行して続けることにした。本日移行作業をしたけれど「以後旧ソネブロで新規記事を載せない」というところにポチッとしたら、もうソネブロも見られずいきなりSeesaaに。

何だかお笑いの「ヒ~ハ~!」みたいに「シ~サ~!」にとんでしまった。まだレイアウトをはじめとして使い勝手が分からないので今日から試行錯誤だなぁ。気に入っていたサイドバーでのテキスト記事展開もできるのかどうか分からない。しばらくお見苦しい画面が続くかもしれませんがご容赦を…。心機一転のつもりで…。

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2025年01月01日

謹賀新年

謹賀新年
 
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 *Ansicht05という名前の通りこのソネブロを始めたのが2005年なので今年でちょうど20年目。万事に飽きっぽい自分としては異例な長続き、これからも、と考えていたところに年末にこのブログのサービスも今年三月で終了というちょっとショックな情報が入ってきた。

 Seesaaというブログへの移行サポートがあるということなんだけど、自分としてはこのブログのフォーマットが好きで自分なりに画面を育ててきた気持ちもある。それにこのブログを取り巻く皆さんの雰囲気も好きだっのでとても残念に思う。三月以降は閲覧もできなくなるというのも辛いなぁ。移行して続けるかどうか、考えている。
 
posted by gillman at 09:27| Comment(12) | 新隠居主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月28日

日向ぼこ

日向ぼこ
 
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 ■ 硝子戸の 外の風見る 日向ぼこ(丑久保勲)
 
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 長い夏からあっと言う間の秋を通り越して冬の日がやってきた。若いころはお気に入りのコートが着られたり冬はそれなりの楽しみもあるのだけれど、歳をとると筋肉が強張って朝身体が痛い、肌がカサカサするとか辛いことがいっぱい待っている。そういう中で「日向ぼっこ」は年寄りの少ない楽しみの一つなのだ。縁側で猫の頭でも撫でながらうつらうつらする、というのが一昔前の幸せな老後のイメージだったかもしれない。

 昔の家には縁側があったけれど、今はそんな粋なものはないので、南に面した出窓から差し込んでくる優しい生暖かい陽の光にソファーの上で身を任せるのがせいぜいなのだが、これが何とも気持ちいい。「日向ぼっこ」は俳句では「日向ぼこ」とか「日向ぼこり」とか詠まれることが多いのだけれど、これは「日向惚け在り(ひなたぼけあり)」が「日向ぼこり」になってそこから変化してきたらしい。

 「惚ける」は「ほうける/とぼける/ぼける」などと読み「ぬくぬくとした陽にほうけている」といった意味になるのかもしれない。いずれにしてもだら~っとした気持ちよさが伝わってくる。
 
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 猫は日向ぼっこの名人だ。猫は、心地よさの鑑定家だ/Cats are connoisseurs of comfort.(ジェイムズ・ヘリオット)という言葉があるけど、まさに家の中で一番心地の良い場所を素早く見つける能力に長けている。歴代の猫もそれぞれにお気に入りの日向ぼっこの場所を持っていた。

 ハルは外が見えるテラスが好きだし、モモはソファの前のオットマンの上、レオはリクライニングチェアに、タマはソファを広々と占領して寝るのが好きだった。クロは時々ベッドの上でも寝ていたが一番はやはり母の膝の上だった。こうして写真を見ていると日向ぼっこの写真は幸せな時間の残像のように思えてくる。
 

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 ■ ここに母 居たらと思ふ 日向ぼこ (下村常子)
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2024年11月21日

Oktoberfest ドイツ人のはっちゃけ方

Oktoberfest ドイツ人のはっちゃけ方
 
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 オクトーバーフェスト期間中のミュンヘンは会場以外でも町中に人が溢れている。市内にある老舗のビール醸造所のビアホールも満員。アウグスティーナーのビアケラー(上写真)も体育館みたいに広いビヤホールに人がいっぱい。普段は楽団が入る舞台の上まで客席になっている。

 とは言え、せっかくオクトーバーフェストの期間中にミュンヘンに来たのだからできれば会場のテントの中で飲みたいし、その雰囲気も味わいたい。オクトーバーフェストは9月末から10月の第1日曜日を最終日とする16日間、市内のテレージエンヴィーゼ(通称ヴィズン)という普段は広大な平原に特設テントを設けてその中で行われる。

 テントだけでなく移動式遊園地も出てジェットコースターなんかもあったりする。テントというと小規模なものを思い浮かべるけど、実際は7000人以上も入る巨大な体育館のようなもので、その大きなテントが醸造所ごとに7カ所くらい立ち並ぶから壮観。なにしろ最近は期間中に800万人の人が訪れるらしいから…。しかもみんな酔っぱらう。


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 ガイドの人の話ではテントの中のテーブル席は特に夜は企業や団体の予約で入れる余地は無いらしい。かろうじて昼前の時間帯ならいくつかテントを廻れば空きにぶつかるかもしれないとのこと。ということであわよくばそこでビールと昼飯にあずかろうと会場に出向いた。運よく人気のビール醸造所Paulaner(パウラーナー)のテントで席を見つけることができた。

 昼前だというのにテントの中はもう盛り上がっている。音楽に合わせて、もしくは音楽に関係なくあちこちで怒涛のようなどよめきが起こる。とにかく座ってビールを頼むが、ビールは1リットル入りのジョッキしかない。しかも重い。カミさんなんかは両手でもたないと飲めない。

 中央につくられた一段高いオーケストラボックスではずっと演奏がされているが、時折「乾杯の歌」が演奏されると大変な騒ぎ。バイエルンの民族衣装である男性はレーダーホーゼと呼ばれる皮の半ズボン、女性はディアンドルと呼ばれるメイドカフェでおなじみのあの格好した男女が1リットルのジョッキを軽々と掲げて乾杯。

 「乾杯の歌」以上に盛り上がったのは、ジョン・デンバーの名曲"Country Roads"が演奏されたとき。♪Country Roads take me home to the place I belong...というサビのところにくるとテントを揺るがすような大合唱。スゲ~、の一言。でも、まだ昼前。昔まだ若いころ近くの村のワイン祭りで自分も大騒ぎしたことがあるのでドイツ人のはっちゃけ方は知っていたけど、そのエネルギーはまだ健在だった。
 
 *はっちゃける…はね上がったり、おどけたりする。また、ふざけ騒ぐ。「酒の席で—・ける」
 

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 *こちらも酔っぱらいながら懸命にスマホで撮ったのが上の動画です。何となく雰囲気は分かっていただけるのでは…。今見直すと画面の中で腕相撲をしているヤツや張り切って皆を盛り上げているディアンドルの女性やらいて面白いです。最後の方になるとその音頭取りの女性は牛の被り物をしてその牛の角が動いて音頭をとっていたり…飽きないです。

 これだけ飲むと、当然出るものは出る。ぼくも何度か行きましたが、トイレが大変です。特に男性のトイレは普通のではとても間に合いません。説明はしにくいのですが…、廊下のように長いトイレには便器が並んでいるのではなく、壁に長~い雨どいのようなものがあってそれに向かって…です。ドイツ語ではPissoir(ピソワール)と呼んでいるようで、本来は男性用の公衆トイレの事らしいですが、これもそう呼んでいました。

 下ネタで恐縮ですが、東京には「関東の連れション」という男性特有のトイレスタイルがあったりしますが、これはまさしく「ミュンヘンの連れション」ということになりますね。下の絵は1913年制作の絵葉書で「オクトーバーフェストからご挨拶! 男性用ピソワール」となっています。ここでは平民から貴族まで横一線に並んでということですかね。 
 
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Oktoberfest-Postkarte "Gruß vom Oktoberfest!". Männer-Pissoir)1913
Münchner Stadtmuseum, Sammlung Puppentheater
 


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2024年11月11日

半世紀を経て

半世紀を経て

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 ハイデルベルクから南に車で一時間くらい下ったところにマウルブロン(Maulbronn)という小さな町がある。ぼくがここを前回訪れたのは1970年の9月で、それからもう半世紀以上も経ってしまった。友人と車で東ドイツ地区や南ドイツを廻ってハイデルベルクに戻る途中だった。

 ここマウルブロンには12世紀に修道院が立てられて以来いろいろと紆余曲折があったが近世には修道院とともに神学校も併設され、ここではヘルマン・ヘッセケプラーヘルダーリンなども学んでいた。この神学校はシトー派の修道会が運営していたが、ドイツの西部にあるここマウルブロンの神学校は日本でいえばさしずめ関西の有名進学校の灘高あたりになるのかもしれない。

 一方、東ドイツのナウムブルクにはやはりシトー派が運営する神学校シュールプフォルタ(プフォルタ学院と呼ばれ現在も運営されているようだ)があり、そちらはフリードリヒ・ニーチェなどを輩出し、さしずめこちらは開成にあたるだろうか。この二校が当時のドイツで大学の神学部にすすむための代表的なエリート進学校だったようだ。
 
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 話をマウルブロンに戻すと、ヘッセはこの神学校に入るが結局ドロップアウトしてしまい大きな挫折感を味わうことになる。その辺のことは彼の作品「車輪の下」や「ナルチスとゴルトムント」に描かれているがそこに登場するマリアブロンの修道院がこのマウルブロンのことらしい。

 半世紀前にぼくがここを訪れたとき、そこにはまさにヘッセが青春をもがき苦しんだ時間が流れていたような気がした。ぼくが日本に居て勝手に頭の中で作り上げていたドイツの姿が目の前に広がっていたことに興奮した。その日の日記…。
 

1970年9月10日
 …ヘッセの生地カルフ(Calw)による予定であったがアウトバーンが事故で混んでいるので彼が神学校時代を過ごしたマウルブロンに向うことにする。このマウルブロンは僕がこのドイツへ来て以来一番強くドイツというものを感じた村であった。

 ファッハベルク(破風造り)の家々に囲まれた広場に面してヘッセの学んだ僧院が建っている。ロマネスクとゴチックの混じりあった僧院はひっそりと、まるでその中に立っている自分が数百年の昔に戻ったように錯覚させる位だ。

 胸が苦しくなるような感動と同時に何とも言いようのない安らぎが感じられる。本当にこの広場から数台の車と電灯が消えたなら僕には今が何年だか全く分からない。僧院の前のカスタニエの木と静かな音を立てる泉はヘッセの居たころと寸部たがわぬかも知れない。

 ドイツの中をドイツらしさを(むろん僕にとってのドイツらしさでしかないが)求めて駆けまわった結果このマウルブロンのこの広場にそれを見つけたような気がする。口-テンブルクのマルクト広場もハイデルベルクのコルンマルクトも供にドイツの、古きドイツの顔かも知れない。

 しかし僕にはこのひとつも派出さのない、むしろ沈んだ調子のこのクロスターホーフ(修道院)こそ僕のドイツそのものだと思える。段々と暮れてゆく広場の端に立って何回も自分でうなずいてみた。寒くなったらもう一度ここへ来よう。オーバ-の襟を立てて一人でゆっくりと歩いてみて自分の中にあったドイツはこれなんだと納得するのだ。僧院のユースホステルに泊る。


 今読むと恥ずかしくなるほどの高揚の仕方だけれど、当時のぼくはそう感じていたし、その思いは半世紀にわたって自分の中でくすぶり続けて、ある意味で伝説化されてしまったのかもしれない。半世紀を経てそこに再び立ってみると不思議な戸惑いに襲われた。近年世界遺産に指定されて立派なインフォメーションセンターなどができているが、大きくは変わっていない、しかし何かが違う。

 一瞥した外見は大きくは変わっていない。だが、注意深く見ると当時その木陰に癒された僧院の前のこじんまりとしたカスタニエの木は見上げんばかりの大樹になっていたし、敷地内の当時泊まったユースホステルだったと思われる建物はレストランになっていた。でもそれは時の流れで起こる当然の変化に違いない、きっと何よりも変わったのはぼくの方だったのだ。
 
 子供の時すごく広く大きく思えていた原っぱや建物が大人になって行ってみると驚くほど狭く小さいという事はよくあることだけれど…。あ、それとも違うな。失望や落胆とも違うし…。とにかく、この戸惑いに何か名前を付けないことには心が落ち着かない。ぼくはこれをとりあえずNostalgie(ノスタルジー)という言葉で一旦飲み込んでみることにはしたが…。
 

 
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 *旅行などのイベントではぼくは基本的には晴れ男であまり旅先で雨に降られた記憶はないのですが、今回は毎日、冷たい雨が降ったりやんだりでした。その中でたった一日だけ抜けるような青空の日があって、それがこのマウルブロンとハイデルベルクを訪れた日でした。

 マウルブロンの印象が変わった一つの原因はこのイタリアの空のように青く澄みわたった空にもあるかもしれません。モノクロからセピアの色調でぼくの頭の中に定着していたイメージとはとてもかけ離れていました。

 修道院の前の広場の泉の処では、地元の学生らしき若者が地面に持ち物を置いたままで溌溂とした声をあげながらじゃれあっています。それを見て少し心が和らぎました。この修道院の広場は世界遺産になろうとも剥製のモニュメントではなくて、彼らにとっては遊び場なのだと…。半世紀後、彼らの脳裏にのこるマウルブロンの姿はぼくのそれとは違うけれど、それはそれで素晴らしいものなのかもしれません。
 


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2024年10月26日

巡礼みたいに

巡礼みたいに
 
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 長い旅に出るのは実にコロナ以来久しぶりの事だ。今月で手術してから丁度一年になる。旅に行けることを一つの目標にしていたので行けたのは良いけれど、それよりも見切り発車で行ってしまったという方が正しいかもしれない。ステッキをついてドイツの石畳の道を歩き回るのは苦行のように思えたときもある。何だか巡礼みたいだな、と。

 とは言えそれは一つの区切りにもなったことは確かだ。今回訪れた街は殆どが以前にも訪れた処がほとんどなのだけれど二十数年ぶりの街もあれば、中には五十余年ぶりの街もあったりしてその間に変わったもの、変わらなかったものが心の中を去来した。アーヘンの大聖堂のステンドグラスはこんなにも美しかったのかと改めて感動した。若いころ見たときには確かにすごいけれどこんなに感動した覚えはなかった。パリのノートルダムの薔薇窓にもこれほど感動はしなかった。

 逆にマウルブロンのクロスター(修道院)は若いころ訪れてこれこそぼくの心に描いていてたドイツそのものの姿だと感動もし、ずっとそこに居たいと願った場所だったのだけれど、世界遺産に指定されたらしい現在はそういった空気、雰囲気は残ってはいなかった。何だか見てはいけないものを見てしまったような…。自分も観光客として来ていながらそれは矛盾しているけれど、特に21世紀に入って顕著になったオーバーツーリズムというものが、その土地の空気を攪乱し陳腐なものにしてしまっている気はした。

 自分が青春を過ごした静かな街だったハイデルベルクも丁度秋祭りの時期だったとはいえ、町中がまるでディズニーランドのようでどこにも日常の生活臭は残っていなかったのは寂しかった。当時学生の頃は憧れだった目抜き通りの伝統的高級ホテルZum Ritterで昼食をとったけれど、混みあっていてそそくさと急がされて感傷に浸っている間はなかった。恐らくはもう訪れることもないこの街に別れを告げる時、もう少し静かな時期に来ればよかったかな、と。ドイツも大きく変わった気がする。コロナ以前は主に旧東ドイツ地区を旅することが多かったので南部、南西部ドイツは久しぶりなのでよけいに感じたのかもしれない。
 
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