2023年01月28日

都会の谷間

都会の谷間
 
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  ■ 東京バラード、それから
 
   東京では 空は
   しっかり目をつぶっていなければ  見えない
 
   東京では 夢は
   しっかりと目をあいていなければ  見えない
 
    (谷川俊太郎 「東京バラード、それから」巻頭の詩)
 
 高層ビルが林立する新宿の新都心にくると、ぼくなんかは空に覆いかぶさる構造物に無言の威圧感を感じる。コロナ前には毎週この高層ビルの一つにある場所に来ていたのだけれどこの光景になかなか慣れない。

 覆いかぶさる言わば精神的な威圧感とは別に、ぼくは空気の流れの不自然さも気になる。いわゆるビル風というのだろうか、突然強い風が吹いてくることがある。鳩たちはその風を捉えて急上昇したり急降下したりしている。彼らにとってはビルだろうと山だろうと谷間であることに変わりはないとでも言っているようだ。

 そのビルの谷間に鳩たちのたまり場のような一画があって、そこは風の通り道から外れているのか多くの鳩が羽を休めている。鳩たちは近くの新宿御苑あたりから来たのか時折一斉に飛び立って上空で方向を見定めるように群れになって空を旋回しては彼方に消えてゆく。
 

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 そういえば子供の頃近所に伝書鳩を飼っている家があって、その伝書鳩たちは放たれると空高く舞い上がって、ひとしきり旋回してからどこかへ飛び去って行った。今は伝書鳩という言葉ももはや聞くこともなくなった。

 その昔伝書鳩は軍部の連絡や新聞報道の大事な使命を担っていた。明治時代に朝日新聞が記者が報道現場に伝書鳩を連れてゆき、現場で書いた記事や写真のフィルムを伝書鳩につけた筒に入れて本社に送るという方法を開発した。

 それは1960年代当初まで続いたということだけど、そういえばぼくにも思い当たることがある。高校生の頃、友達の父親が当時まだ有楽町にあった朝日新聞の本社に勤めており、そのつてで毎週朝日新聞の屋上にあった講堂で行われていた合気道の稽古に通うことになった。

 ぼくの生来の飽きっぽさで結局一年くらいで辞めてしまったのだけれど、当時稽古の合間に一休みするために講堂の外にでるとそこには鳩舎があった。そこからは多くの伝書鳩のクルクルと鳴く声が聞こえてきた。それが丁度60年代の初めころだったので、そこに居たのは長い使命を終えた鳩たちだったのだと思う。

 その鳩たちが最後はどうなったのかは知らないが、レース鳩に転身したり、あるいはここに群れている鳩のように市井の鳩として暮らしていたのかもしれない。ビルの谷間を自由に飛び回る鳩たちを見ていると嫉妬めいたものを感じることがあるけれど、ぼくは極度の高所恐怖症なので鳥になったら飛び立つたびにいつもビビッていなければならない。鳥になるとしてもせいぜいが鶏か鶉(ウズラ)。大空を舞う鳥にはなれないなぁ。
 

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posted by gillman at 13:48| Comment(8) | Ansicht Tokio | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月21日

寒椿

寒椿
 
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 ■ 寒椿の 紅凛々と 死をおもふ (鈴木真砂女)
 
 大寒を経ていよいよ本格的に寒くなってきた。散歩中はゆっくり歩いているので中々身体が温まらない。北側の空にわずかに残った青空を覆うようにうろこ状の雲が広がっている。

 素の姿になった樹々の上に広がる厚い雲とその裏側で光を放ってる白い太陽。冬の一番美しい光景に思える。丘の中腹の寒椿の花も数輪を残して盛大に散った花びらが艶やかな姿を見せてくれる。実はいまだに寒椿山茶花の区別がつかないのだけれど、まぁ、合わせて冬椿と思っていればいいのか…、位いの知識しかない。

 寒椿の散った様を見ると何だか気持ちがワサワサとする。怪しいような美しさがあって鈴木真砂女の句のようにどこか死を想わせるような…。ぼくらの、と言っては語弊があるのでぼくの中ではこの美しさは死と隣接している感じがするのだ。

 ぼくに限らず日本人の美意識にはどこか果ててゆく美しさをこよなく愛する傾向があるような気がする。桜もそうだけれど、その盛りよりも盛りを過ぎて散り行くさまに独特の美を感じてしまう傾向があるのではないか。ぼくの中にもそういう心情がある。

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 よく言われるように徒然草の冒頭の、

 花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。
 雨に向かひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。
 咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ。

 といったような美意識が日本文化の底流に流れているのかもしれない。これは日本人の強さでもあり、同時に弱さでもあるかもしれない。日本文化の先人達の美意識をみるに、万物の有限性を認識しそれさえも愛でてゆく心情は深く人生を味わい、生を慈しむ原動力にもなっていると思う。しかし同時にそれに酔いしれてしまえば滅びの美学のような危うい方向に行きかねない要素をもはらんでいる。

 先の戦争に限らず為政者は日本人のそういう心情を利用し、それに付け入らんとしたことも確かだ。古くは忠臣蔵から戦前の軍歌「同期の桜」の"…みごと散りましょ国のため"のような恣意的で短絡的な潔さは結局誰の人生も幸せにはしない。これからの日本人に必要とされるのは、もののあはれを愛でる心情と一方では何があっても生き抜くという強かさ(したたかさ)の両方を兼ね備えることなのかもしれない。
 

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  ■何といふ 赤さ小ささ 寒椿 (星野立子)

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posted by gillman at 20:55| Comment(5) | gillman*s park | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月11日

あれから一年

あれから一年

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 正月の雰囲気もやっと薄れてきたと思ったら、ハッピーマンデー構想とやらで従来の1月15日の成人の日が移動祝祭日になって、今年は1月9日の月曜日になりいきなり三連休。ということで中々正月気分が抜けない。年始にちょっと会社に行ってまた休み。一見楽なようだけれども、自分のサラリーマン時代の経験からすると、こういう変則的な休みは仕事の調整も大変で結構疲れるものだが…。

 1月10日の今日はモモが死んで一年の日なので谷中のお墓にカミさんとお参りに行く。去年縁あってぼくとカミさんと猫たちが入れるお墓を谷中のお寺にもうけた。家から近いので思い立ったときにいつでも行けるのが好い。今日は天気は良いけど強く冷たい風が吹いている。

 カミさんと谷中の御殿坂を登りながら去年のことが頭を過った。見つかった時には末期ガンということだったのだけれど、もっと早く気が付いてあげればよかったんだけど…辛い思いをさせちゃったな。救いは本当に苦しんだのは一晩だったということくらいかな。

 ここは谷中墓地が近いので坂の上のコンビニではいつもお花を売っている。赤いカーネーションを買って、お寺さんでお線香を貰いお参りをする。墓石の上にモモの写真を立ててお線香をたむける。ウチのお墓の前に小さな東屋があるのでいつもそこで持ってきたお茶を飲んで一休みする。ちょっとため息みたいなものがでる。

 帰りはいつものそば屋によって精進落とし。なんだかなぁ、モモの墓参りにかこつけてそばを食いに来るようなものかもしれないと、一人で苦笑い。カミさんはちいさなアナゴ天丼と小もりそばのランチセット、ぼくはいつものように卵焼きと最後に〆のもりそばだ。いつもは二人で各々グラスビールを頼むのだけれど、今日は瓶ビール一本を頼んで二人で分けて飲んだ。

 ぼくは頚椎症で右手の力が落ちて店の割りばしではそばを持ち上げられないので、最近は使いやすいマイ箸を持ち歩いている。手元の処が大分太くなっていて力が入りやすい。何でもないように見えても箸先でそばを持ち上げる動作がぼくにはとても難しくなっているし、天婦羅なんかも持ち上げられない。

 「マイ箸を持ってきているので…」と言って店の顔なじみのばあさんに置いてあった割りばしを返すと、マイ箸を見て大きな声で「あら~、ハイカラじゃないの」とばあさん。おかげで、ちょっと気持ちが上向いた。
 

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2023年01月07日

晩年を歩く

晩年を歩く
 
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 正月の朝寝坊癖がついてしまったのか朝飯から散歩の時間までが少しづつずれ込んでしまって、もう十時過ぎ。もとに戻さねば、と…。今日は風もなく晴れて穏やかな土曜日。

 丘の上で凧あげをしていた一家、というかしようとしていた一家。丘の上でも風が無いのでお父さんが悪戦苦闘しているけど中々上がらない。家族は少し飽きてきた模様。やっと風を捉えて凧が少し舞い上がった時、息子が駆け寄った。お父さんはちょっと誇らしげだ。ぼくはこういう小さなドラマが好きだ。

 公園は少し正月の空気を残しながらも平素の土曜に戻りつつある。ぼくももとに戻さねば。散歩しながら、ふと「晩年」という言葉が頭に浮かんできた。ああ、自分は今、晩年を生きているんだ、と。

 晩年を英語で言うと"Later years"と言うらしい。そのままだなぁ。ドイツ語にも"spätere Jahre"という全く同じ表現もあるけど、一方"Lebensabend"という言い方もある。直訳すれば「人生の黄昏(たそがれ)」みたいな。そうか、ぼくは今黄昏の中を歩いているのだ、昼間なのに…。
 

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 ぼくの好きな小説家、城山三郎の作品に「部長の大晩年」というのがある。三菱製紙を五十五歳で定年退職後に俳人として名をはせた永田耕衣(本名:軍二)の後半生を描いたものだ。耕衣は現職時代も真面目で人望もあったが、ちょっと一風変わったところもある人物だったらしいが、退職時の慰労の宴会も断ってさっさと俳句や書の世界に埋没していき九十七歳の天寿を全うした。

 ぼくは勤め始めた若い時から早めに隠居したいと思っていたけれど、特に何がやりたいということではなかった。しかし辞めてみてから若い頃の言わば恩返しにヨーロッパで日本語を教えたいという夢がでてきて、それなりに勉強もし日本語教育能力検定試験も受かり大学院でも学んだのだけれど、結局母の介護もあってその夢は諦めざるを得なかった。

 その後母の認知症が強くなって大学の講座で日本語を教えていたのも辞めたのだけれど、その前からおこなっていた日本語学校での活動は二十年近く今も続いている。夢の形は変わったけれど、後悔はしていないし母を看取ったことで今まで見えなかった世間の色々な景色を見ることが出来たことが、今の自分の生き方に大きく影響していることを想うとそれで良かったと思っている。

 自分の毎日を見てもとても「大晩年」という訳にはいかないけれど、苦労を掛けたカミさんと一緒に毎日飯が食えるだけで大いに満足しているし、夢というほどではないが写真をはじめやりたい事、知りたい事はまだまだ山ほどある。最後の時に高木良の小説「生命燃ゆ」の主人公の台詞のように「未練はあるが、悔いはない」と云えれば、それがぼくにとっての大晩年ということになるだろうか。
 
  ■ 少年や 六十年後の 春の如し (永田耕衣 / 句集「闌位」より)
 


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posted by gillman at 16:07| Comment(5) | gillman*s park | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月05日

公園散歩初め

公園散歩初め
 
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 正月五日。今年最初の公園散歩。風が冷たい。今日の空は天気の安定した冬の東京の青い空だ。見ごたえのある雲が公園の空一面に広がる様子も捨てがたいけれど、この青空も好い。鈍色の空から降って来る大雪の便りが北の国からくるたびにこの東京の空をありがたく思う。

 いっとき、冬が嫌いになった時期がある。特にまだ夜も明けぬ暗いうちに家を出て出勤していたサラリーマン時代には、冬の朝の冷気が恨めしかった。そのあとに控えている電車での押しつぶされそうな着ぶくれラッシュも憂鬱の種だった。

 もちろん今でも寒いのは嫌だし、歳をとると冬は筋肉が硬化して朝起き出すのも冬は辛い。それでも公園に来て素になった樹々の凛とした姿や飛来する野鳥を見るのは他の季節にはない楽しみだ。空の青を映した池の水面に日光が当たって光の粒が躍っている。

 いつも一休みするベンチの脇の木の枝に取り残されたようなセミの抜け殻。夏の間あんなに見られた蝉の抜け殻も鳥に食べられたりでこの季節になると大方のものは姿を消すのだけれど、枝の目立たない処に隠れるようにポツンとしがみついている。「冬の蝉」という言葉が浮かんできた。確かそんな歌があったっけ。

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 足元に目を移せば針のように細いメタセコイアの落ち葉が降り積もっている。池のほとりの落羽松の木々もすっかり葉を落としてすっくとしたスケルトンの姿で立っている。あっと言う間に去っていった短い秋を満喫しないうちに、気が付けば冬の真っただ中。でも、この青空に免じてそれも良しとしよう。

 ■人古く 年新しく めでたけれ (山口青邨)
 
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posted by gillman at 19:19| Comment(9) | gillman*s park | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする