2023年07月29日

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その44~

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その44~
 

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 ■ 猫と人間の新たな関係を成功に導く鍵は、忍耐である。(スーザン・イースタリー)
 The key to a successful new relationship between a cat and human is patience. (Susan Easterly)


 レオは牛乳が好物で、特に明治の「おいしい牛乳」が好きだ。朝晩のご飯の後何回かそしてお昼にも小皿一杯の牛乳を飲む。一回分は量が少ないけれど一日にすると結構な量になるかも。

 厄介な事は、牛乳パックの大きい方でも小さい方でも残りが三分の一位になると。「これ古いよねっ」という感じでプイと飲まなくなってしまう。もちろん賞味期限は十分残っているのに…。

 仕方なく買ってきたりして新しいのを出すと、一口飲んでブルっと身体を震わせて「これ、これ、これじゃなくちゃ」みたいな感じで飲んでいる。残った古い(レオにとっては)牛乳は結局ぼくやカミさんが飲むことになる。

 昨日もお昼にあげた牛乳にまさかのダメ出し。買いに行くったって外は37度近くの猛暑。歩いていくことはできないけど、車だって億劫なことに変わりはない。でも、レオは頑としてキッチンから離れず鳴いている。根負けして車に乗る。

 う~ん、なんか映画「ロンググッドバイ」(The Long Goodbye[1973])のイントロを思い出してしまった。チャンドラーの私立探偵小説フィリップ・マーロウ・シリーズの映画化だが、イントロではマーロウが飼い猫に振り回されるシーンが延々と続く。

 疲れ果ててベッドに倒れ込んでいだマーロウは、夜中に自分の飼い猫にお腹が空いたと起こされる。いつものキャットフードが切れているので、キッチンにあったそこら辺の缶詰を手当たり次第に混ぜ合わせて即席のキャットフードを作るが、そんなもの食えないと猫に拒否されてしまう。

 マーロウは渋々キャットフードを買いに夜の街に出て行く。スーパーに行くも飼い猫の好きな銘柄の猫缶が今日は品切れ。スーパーの店員が「ほかのやつでも大して変わらないョ」と言ったときに、マーロウは「ははぁ、こいつは猫を飼ったことがないんだな」とつぶやく。

 仕方なくそれを買って、家に戻ってその違う銘柄の猫缶をお気に入りの猫缶の空き缶に入れ替え、「ほら、いつものやつだよ」と言いながら差し出すも、猫に見抜かれて無視され猫ドアから出て行ってしまう。茶虎の猫の演技がマーロウ役のグールドに負けず渋い演技だ。

 で、レオ牛乳の件は何とか…、レオは手がかかる猫だ。今の時期は冷房は嫌いだけと暑がりなので、冷房の時期になると玄関のタイルとか浴室のタイルの上とかで寝ている。ということで真夏になると冷えたアイスパックをタオルにくるんで廊下に置いてやると枕にして寝ている。

 猫のトイレは二か所あるんだけど、ちょっとでも汚れていると「汚れていたので他所でしました」なんてことがしょっちゅう。フローリングの上はまだ良いけれど、絨毯やソファの上にされると即、救急掃除隊(ぼく)の出動となる。トイレは日に何回も掃除する羽目になる。

 毛玉は出来てもブラッシングは大嫌い。全く手のかかる…。確かに、猫ケアの指南書"Your Older Cat"の著者スーザン・イーストリーの言うように「猫と人間の新たな関係を成功に導く鍵は、忍耐である」かもしれない。でもその忍耐はいつも苦痛とは限らない、それどころか時には愉悦ですらある、と言うのがおおかたの猫飼いの心理なのだと思う。 
 

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posted by gillman at 19:41| Comment(11) | 猫と暮らせば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月09日

五月闇

五月闇(さつきやみ)
 
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 ■ 切りこぼす 花屑白し 五月闇 (長谷川櫂)

 もう何か月も公園に散歩に行けていないので、自分の中から季節感が段々と薄れているのが感じられる。と言っても闇雲に季節感を取り戻そうとしている訳ではないけれど、それでも季節感に触れたいという気持ちがあってか最近はよく手元の俳句歳時記をみることが多い。

 

 母の使っていた俳句歳時記が何冊かあるのでそれをよく覗いていたけど、そのうちの一冊は如何にも字が小さい。母も晩年はそれはよく見えなかったんじゃないかと思う。ぼくもそう言う歳になったという事だな。

 

 角川版の四季別で分冊になっている歳時記のデカ文字版があるので今はそれをよく見る。そのうちの「夏」巻は電子書籍のKindleでも買ってみたが、やっぱり歳時期は紙の本の方が親しみが持てる。Kindle版の方はまた旅行に行けるようになったら旅先で読んでみたい。

 

 歳時記を見ながらつくづく感じるのは、季語というのは日本人の季節感の精髄のようでどの言葉にも言霊が宿っているという事だ。俳句は詠めなくても、その言葉に出会うだけでも何か心の琴線に触れてくるものがある。

 

 ぼくの好きな夏の季語の一つに「五月闇(さつきやみ)」というのがあるけど、これは五月というよりは梅雨の合間のいやに暗い日を指しているので、今頃も通じる季語だ。

 

 梅雨の降るころの厚い雲に覆われた、昼夜を問わぬ暗さをいう。ちょっとジメッとした闇の空間を思い浮かべて日常にありながらどこかに潜む異空間を感じさせるし、これは他の季語同様多分に心的な意味も含んでいるような…。長谷川櫂のこの句はその五月闇の中に白い花がポロッと溢れた刹那がイメージとして浮かんでくる。好きな句だ。

 


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 *母はよく俳句を詠んでいたけれど、ぼくは観賞専門で詠むことはないが、人生で折に触れて自分の好きな句が少しづつ増えてゆくのは嬉しい気がします。そういう句の中の季語のイメージが写真で捉えられたらいいなあと思うのだけれど、とても難しいなぁ。


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posted by gillman at 15:51| Comment(10) | gillman*s park | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする