2024年06月19日

German Jokes

German Jokes
 
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娘「パパ~。アイスが食べたい」
父「だよね~。パパもそうしたいなぁ。だけどママはビール三杯分のお金しか僕達にもたせてくれなかったんだよ」
 
 今日は夏みたいに熱い。で、ネットからとっておいたドイツのこんなジョークを思い出した。日本人がドイツ人に抱いているイメージからいうと真面目とか堅物だと思うのだけれど、確かにそういう一面はあるけどドイツ人はジョーク好きでもある。

 ぼくは落語が好きなので笑いという事には興味がある。笑いにも色々な種類があって落語はどちらかというと本来「諧謔(かいぎゃく)」つまり気の利いた洒落や冗談。どちらかというとエスプリとかユーモアというものに近いと思う。フランスコントなんかもそういう匂いを持っている。

 ぼくはそこらへんは詳しくないのだけれど、どの国にも笑いの世界はあるが、笑いのツボみたいなのはその国によって微妙に違うようだ。フランスでは気の利いたセクシャルなジョークが多いみたいだけれど、日本にも落語の一分野として艶笑譚(えんしょうたん)とか艶噺(つやばなし)とかいうのがあって、古今亭志ん生なんかの艶噺は実に洒脱で色っぽい。

 テレビでは流せないような噺だから触れる機会は少ないけど、寄席での貴重な音源があってそれを聴くと実に洒脱でくすっと笑ってしまう。いやらしさはない。フランスのもそういうテイストのものが多いけど、ドイツ人は下ネタも嫌いじゃないけどドイツのは意外とストレートな感じがする。

 一方、ドイツなど中央ヨーロッパから東ヨーロッパにおいてはジョークの対象は政治であることが多い。ドイツなどのキャバレーは日本のキャバレーとは違って主に政治を茶化して笑いをとるようなコントをやる場所をキャバレーと称していた。

 コメディアンもそういう劇を作り演じる人をいうのであって、これもぼくら日本人がいうコメディアンとは少し違っている。そんなこともあってウクライナでゼレンスキーが大統領になったとき日本ではコメディアンが大統領になったと大騒ぎだったが、向こうの人たちからしてみればそう意外ではないのかもしれない。

 話はそれてしまったけれど、ドイツ語の勉強にもなると思ってよくドイツのジョークを目にするのだけれど、ぼくの非力な語学力ではどうしてもそのジョークの笑いのツボが分からないことがある。ずっと分からないこともあれば、しばらくたってからあ~そうか、ということもあるけど。

 面白いなと思ったものは訳してみるけど、日本語でも笑えるようにするのはちょっとした意訳や崩しも必要になって中々手ごわいこともある。こういうのはAI翻訳機もまだ苦手なようだ。AIに笑いまでもっていかれてはたまらないけど…。

 [おまけのドイツ・ジョーク]
 ある男が死の床で…
 「聞いてくれ、アーデルハイト、ぼくたちは五人の息子を育てたが、四人は黒髪なのに一人だけ赤毛だ。あの赤毛の息子は誰の子なんだ、最後に打ち明けてくれないか」
 「ええ、いいわ、ハインリヒ。彼はあなたの子よ」

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 *出展
 Deutsch Kostenlos
  ジョークで学ぶドイツ語 (押野洋著/三修社)

posted by gillman at 14:42| Comment(4) | German Jokes | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月15日

父の金メダル

父の金メダル
 
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 もうすぐ父の日だけど、想い起してみても父の日を祝った記憶はあまりない。小さな時から母の日には何かプレゼントしたりしていたけれど父の日となると、昔はもしかしたらその日が父の日であるという事もしらないでいたかもしれない。父の晩年、父が完全に仕事を辞めてからは毎年カミさんが洋服などをプレゼントしていたので、ああ今日は父の日なのかと思い出していたくらいだ。

 父の事は小さな頃は「とうちゃん」と呼んでいたけれど、成人してからは母やカミさんには「親父(オヤジ)」と呼んでいたかもしれないが、面と向かってそう呼んだ覚えはない。親父は寡黙な人だったし、大体男の子と父親なんてそういつも話をしているわけではない…、とも思っていたし。

 親父は菓子製造の小さな町工場をやっていたが、本人は根っからの菓子職人で、営業はあまり得意ではなかったし、会社の切り盛りはもっぱら母がやっていたような気がする。問屋筋からは商品の評判はよく商品を菓子博覧会のような品評会に出さないかという誘いもあったようだ。良く解釈すれば商品に箔をつけてやろうという問屋の配慮だったかもしれないが、もちろんその背後にはそれで売上があがるという読みもあったのだろう。

 時折行われる業界の寄り合いでも、仲間の菓子屋が品評会で〇〇賞を取ったなどと言う話をきいても「あんなもなぁ、金さえ出せば貰えるんだから…」と取り合わなかった。実際大手の某社が金を使って金賞を貰ったなどと言うまことしやかな噂も取りざたされたこともあるようだ。親父は世渡りが不器用なところもあって、そういうことは特に嫌っていた。

 その親父がどういう風の吹き回しで品評会に出品することになったのかはいまだに分からないし、もしかしたら問屋筋からやんわりと圧力があって断り切れなくなっていたのかもしれない。親父はその年、昭和43年(1968年)に札幌で開催された第17回全国菓子博覧会に商品を出品して、その商品が金賞を受けた。その前後の定かな記憶はぼくにはないけれど、暫くすると家の床の間の片隅に大きな金メダルのはめ込まれた金賞の表彰盾が置かれていた。

 親父はそのことについてその後にも何も話さなかったけれど、金メダルはそれからずっと床の間の隅に置かれていたがそのうち見当たらなくなっていた。親父の死後その遺品の中からそれは出てきた。きっと実直な親父にとってそれは真っ向勝負でとった金メダルだったのだと思う。

 今その金メダルはぼくの手元にある。それを手に持つと大きくずっしりと重く、それが職人としての親父が菓子作りにかけていた想いみたいな気がして…。が、親父の心子知らず、親不孝息子であるぼくは今その金メダルを便利にペーパーウエイトに使っている。親父、ごめんな。
 

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posted by gillman at 13:19| Comment(9) | 新隠居主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月08日

電話恐怖症 2

電話恐怖症 2

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 以前にも電話恐怖症のことについて書いたけれど、電話の主役が家電(いえでん)からスマホに変わった今もその状況はあまり変わっていない。家電は今もあるけど警察の勧めもあってオレオレ詐欺防止のために留守録がセットしてあるから実際は使っていないのに等しい。

 コロナで三年近く友人や親類などと会う機会が減って、今までなら電話で近況確認しあうなどの機会が増えそうなものだけれど、今はメールやLineのチャットなどもあつてぼくにはそちらの方が向いているのかそういう機会はかえって増えたけれど、電話の機会は減り続けていた。ということで電話に対するアレルギーも忘れかけていたところに揺り戻しみたいなものが来た。

 今はリハビリのために週何度かジムでトレーニングをしているのだけれど、一月のある日その日の午前中もジムのトレーニングエリアでストレッチをしていた。その時床に置ていていたスマホが振動したので画面を見るといとこの息子からLine通話が入っている。彼とはチャットは良くするけれど通話が入ることは珍しいし、思い当たる節もあったので急いでロッカールームに行ってかけなおした。

 思い当たる節というのは、昨年来いとこは末期がんの宣告を受けて抗がん剤を使用しながら自宅療養を続けていたのだ。それでも正月には食欲もあるし元気な様子も垣間見られたので少し安心はしていたのだけれど…。電話はすぐ通じて彼と話が出来たのだけれど、その内容はショッキングなものだった。

 彼はいとこと小さな小料理屋をやっていてその日も前夜の営業のあと店をかたずけ少し仮眠をとってから家に戻ったら浴室でいとこが亡くなっていた。すぐ消防署と警察に連絡をしてその直後にぼくに電話してきのだった。ショックでなす術もなく一人で不安な様子がみてとれたので、着替えてすぐ行くと伝えて電話を切った。もちろん電話のせいではないのだけれど電話に対する昔のいやな感覚がよみがえってしまった。ぼくもまだちゃんとは立ち直れないでいる。

 昔、会社に勤めている頃一時、「お客様相談室」という顧客からのいわばクレームを受ける部署を担当したことがあるのだが、その頃の嫌な感覚もよみがえってきた。その頃は今のようなカスハラなどと言う言葉も概念もなく、電話の向こうで担当者を罵倒するようなクレーマーの声に怯え鬱症状に陥る担当者も少なくなかった。これももちろん電話という装置に責任があるわけではないけれど…。突然電話が鳴りだすと、その背後に色々な思いが立ち上がってくる。

とはいえ自分も段々と歳をとって中々好きな友人や知人、親類などと頻繁に会うことができなくなる時が来るのは間違いないので、かつキーボードなどで文字を打つのが億くうになることもあるかもしれない…、そういう時はやはり電話などで肉声を聞きつつ無駄話などできることは心強いし、その有難さも判っているので…なんとか今から考えておかねば、とは思っている。
 

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 *電話アレルギーのもう一つにはこちらが何かの作業に集中している時や大事な音楽を聴いている時などにこちらの都合に関係なく「さあ、出ろ!」とたたみかけるようにいきなり鳴り出すのも苦手な点かもしれません。

メールなどであればお互いが無理のないタイミングでできそうな気もするのですが、もちろん肉声のようなウェットなコミュニケーションはできないので、ケースバイ・ケースで使い分けられるのがいいのでしょうが…。
 

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posted by gillman at 14:25| Comment(9) | 新隠居主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする