2025年02月24日

Cover Story

Cover Story 蓋の話


DresdenDSC03350.jpgDresdenのマンホールとマンホールのある「君主の行列」の通り
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 普通Cover Story(カバーストーリー)と言えば、雑誌の表紙にまつわる特集記事でその時のcover は表紙のことを指している。Cover Storyにはもう一つ意味があって、辻褄を合わせるための作り話という意味もあるらしい。つまり嘘をcoverするための作り話という事だ。でもここではcoverは「蓋」つまりマンホールの蓋の話というつもりで、もちろん英語にはそんな表現はないが…。要は蓋の話(Cover Story)である。英語にそんな意味はないと言われてしまえば確かに「身も蓋もない」話ではある。

 ぼくがいつ頃からマンホールに、特にマンホールのデザインに興味を持つようになったのかはよく覚えていないが、今住んでいる近くに以前はカラーマンホールのメッカといわれて当時は珍しかったカラーマンホールが多数設置されている場所があることやヨーロッパ、特にドイツで格調高いマンホールに出合えたことがきっかけかもしれない。

 例えば旧東ドイツのDresden (ドレスデン)で出会ったマンホール。ドイツには街の紋章が入った蓋が結構あってぼくはそれが気に入っているのだけれど、それは州立歌劇場のゼンパーから石畳の道を川に向かって下った所にあり、古い紋章が石畳とマッチして渋い雰囲気だ。蓋の刻印を見るとアイゼンハマー社(Eisenhammer Dresden)の製品であることがわかるが、この会社はソビエト時代以前から東ドイツで操業していた工場で、1945年に工場は一旦ソビエトによって解体されたけれど、1960年にロシアの技術提供で再建されたらしい。

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kanalfinger-gr.jpg映画「第三の男」より


 その蓋の縁には国際基準の欧州のマンホール規格(1994年から)であるEN124の刻印があり同時にその元となったドイツ工業規格のDINの番号も表示されていることから、その過渡期に製作されたものと推理できる。蓋に刻まれた情報を読み解くのも楽しみの一つだ。足元にあって普段はあまり注目されないマンホールだけど、社会を支える機能もしっかりとはたしている。そのために決められた性能基準も国によって、また時代によっても異なるしデザインも特に東ヨーロッパでは激動した歴史の証人になっている場合もある。「第三の男」や「ソハの地下水道」などの映画にだって登場する。

 以前は旅先などで立ち止まってマンホールの写真を撮っていると変な目で訝し気にみられたけれど、最近はManholer(マンホーラー)なる名前もついて蓋フェチが増えたせいかそういうことは少なくなった。できればこれからも旅先などで素敵なカバーに出合いたいと願っている。
という訳で今まで出会った素敵な蓋の面々をこれからもサイドバーで折に触れてCover Storyとして少しづつ紹介してゆきたい。なんと地味な企画w。


竹ノ塚IMG_7749.JPG竹ノ塚/足立区とベルモント市との友好都市記念マンホール

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*普段はマンホールなど足元の世界には殆どの人が関心もないと思いますが、先般の八潮での大規模な道路陥没のような事態が起きると、ぼくらの足元で今どんなことが起きているか関心を持たざるを得ないと思います。当たり前の世界、当たり前の日常が何に支えられているか、マンホールへの関心を端緒にぼくも考えるようになりました。


and also...


posted by gillman at 14:37| Comment(11) | 新隠居主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月20日

キーンさんの心に残る言葉...

キーンさんの心に残る言葉...

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 2月24日でドナルド・キーンさんが亡くなって丸六年になる。キーンさんはその著「日本人の質問」の中でこう言っている。日本人は初対面の外国人に日本料理のこれは食べられるかとかよく聞くが「…口に合わないものを外国人に食べさせたくないと思うのは、日本人の親切心のあらわれと思われるが、その裏には"日本の特殊性"という意識が潜在している…」と日本人の特殊主義のようなものを見抜いている。

 例えば「日本語は難しいでしょ」と言うが、世界には東欧系の言葉のように難しい言語は沢山あるのだけれど、本当の日本語は外国人には無理だと思っている。歌舞伎にしたって、能にしたって会場で外国人を見かけると何の根拠もなしに「わかるのかしら…」なんて思ったりして。

 もちろんそんなことはぼくら日本人がドイツのバイロイト音楽祭に行けば、日本人にワグナーの音楽が分かるのか、みたいな反応には会うので言わば「文化の血の驕り」みたいなのはどこの世界にもあるのだけれど、それが日本には強いように思う。この「特殊主義」みたいなものは民族のアイデンティティとは少し違って、とにかく日本文化の多方面で自分たちは特殊で他からは中々理解されにくいという信仰みたいなものがはびこっているような気がする。

 例えばドイツで言えば勿論ドイツなりのアイデンティティはあっても、その底流に西欧文明というものへの心理的なしっかりとした親和感みたいなものがあるのだけれど、それでは日本に中国文明に対するそういった親和感が今あるかというと、それは中々素直に認めたがらない心理が働いているらしい。難しいことはよく分からないけど、どうもそうなったのは日清戦争以降で、それ以前は文化人たるもの教養の基本はヨーロッパ人にとってのラテン語のように中国文化だった。(逆に日本文化は中国文化の亜流だと自虐的に言う日本人もいるが、それにもキーンさんは異をとなえているが…)

 そこらへんはキーンさんも「日本人の美意識」の中で少し触れている。さらに日本文化の特殊性ということについてキーンさんはそれを認めつつも、日本人が世界と分かり合える道筋を「特殊性の中にある普遍性」という言葉を示してぼくらに勇気を与えてくれているので、少し長いけれど引用をしておきたい。それはぼくの生涯の珠玉の言葉となっている。

…日本の全てが西洋を逆さまにしていると書きたがる旅行者は現在でもいるし、一方で日本の特殊性を喜ぶ日本人も少なくない。
 が、私の生涯の仕事は、まさにそれとは反対の方向にある。日本文学の特殊性--俳句のような短詩形や幽玄、「もののあはれ」等の特徴を十分に意識しているつもりだが、その中に何かの普遍性を感じなかったら、欧米人の心に訴えることができないと思っているので、いつも「特殊性の中にある普遍性」を探求している。

 日本文学の特殊性は決して否定できない。他国の文学と変わらなかったら、翻訳する価値がないだろう。日本料理についても同じ事が言える。中華料理や洋食と違うからこそ、海外において日本料理がはやっている。が、いくら珍しくても、万人の口に合うようなおいしさがなければ、長くは流行しない。納豆、このわた、鮒鮨などは日本料理の粋かも知れないが、日本料理はおいしいと言う時、もっと普遍性のある食べ物を指している。」 (日本人の質問)


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 *キーンさんと親交のあったアメリカのタフツ大学のチャールズ・イノウエ教授はこう述べています。「…キーンさんはずっと日本のよいところを語ってきたわけなんですけれども、いまになって、もう少し、悪いところも言わなければならないけれど、アメリカ人として言うのはつらくて、できないと。愛する日本を外国人として批判するのではなく、日本人として苦言を呈したかったんです」
それに対してキーンさんは…

「あなたが言うように、もっと伝わるようにやれればよいのだけど、私が懸念しているのは、日本人は私がいかに日本を愛しているかを語ったときしか、耳を傾けてくれないことだ」(2014年1月14日/チャールズ・イノウエ教授談/NHK サイカルjournalより) 耳の痛い話です。

posted by gillman at 14:13| Comment(6) | 新隠居主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月17日

指定席

指定席

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 毎日のように公園を散歩していると同じ場所で同じような光景に出合う事がある。自然観察園の池の芦原ではアオサギに出合う事が多いのだけれど、彼はいつも倒れた木を止まり木のようにしてじっとしている。ここが彼の指定席なんだな、と。

 公園の丘の上に行くといくつかベンチがあって、それぞれのベンチを指定席としている人たちがいるようだ。それは曜日と時間によって異なっているが、どのベンチもその人のライフサイクルに組み込まれた大事な指定席のような気がする。

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 うららかな日の午後などに公園のいつものベンチで読書をしている人を見かけると、その人にとってはそこは何物にも代えがたい大切な場所なのだと感じる。人生に指定席があるということは素晴らしいことかもしれない。でも、考えてみればそれは約束された場所ではなく自分の心の中だけの特別な場所なのだ。

 心の指定席は列車の指定席のようにチケットがあるわけではないので、当たり前だがいつでも誰でもが自由に使うことができるものだ。まぁ、アオサギくんなら他の鳥が指定席にいれば脅してどかせることもできるかもしれないけれど、人間の場合そうもいかない。

 となると、自分の指定席に先に誰かが居たりすると途端に心にさざ波が立つような…。例えば、ぼくの通っているスポーツジムのロッカールームは自由にどのロッカーでも使う事が出来るのだけれど、自然と自分がよく使うロッカーの場所は決まってきて、既に先に使われていると何となく落ち着かないような…。

 というわけで、ぼくらは今日も安定したそれぞれの指定席を求めて彷徨うのかな。


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  *大昔ドイツにいる時分、下宿の近くのKneipe(クナイペ…レストランと飲み屋をあわせたような)によく晩飯を食べに行ったことかあるんですが、その際好きな場所に座れと言いながら座ろうとすると「そこはダメだ」と言われる席があったりして面食らったのですが、何回か行っているうちにそこはよく見かける近所の常連のおじさん達の席だと知りました。

 ドイツではそういう席をStammtisch(シュタムティッシュ)といって常連客用の席があります。Reserveの札が立っている場合もありますが、ぼくの行っていた店は何も置いてなかったのです。

 下宿のすぐ近くだったのでそれでも通い続けていたらある時、こっちに座れみたいなジェスチャーで案内されたのがシュタムティッシュの一角でした。何だかその地域に受け入れられたようでとても嬉しかったのを覚えています。
 


posted by gillman at 15:59| Comment(9) | gillman*s park | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月14日

お引越しはしたのだが…

お引越しはしたのだが…

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使い慣れたソネブロが3月でなくなるというので、どうしようか考えあぐねていたけれどブログを書くことがもう二十年来生活の一部になっているので移行して続けることにした。本日移行作業をしたけれど「以後旧ソネブロで新規記事を載せない」というところにポチッとしたら、もうソネブロも見られずいきなりSeesaaに。

何だかお笑いの「ヒ~ハ~!」みたいに「シ~サ~!」にとんでしまった。まだレイアウトをはじめとして使い勝手が分からないので今日から試行錯誤だなぁ。気に入っていたサイドバーでのテキスト記事展開もできるのかどうか分からない。しばらくお見苦しい画面が続くかもしれませんがご容赦を…。心機一転のつもりで…。

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posted by gillman at 15:48| Comment(22) | 新隠居主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする