2008年05月20日

行きつけの店

 行きつけの店

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 今日は朝から嵐みたいになるって言っていた。最近の天気予報は外すことが多いけれど今日は当たりのようだ。空は暗く、雨風も吹きつけて確かに嵐のようだ。舎人ライナーの窓から見た隅田川の姿は、どこか映画のアルマゲドンのラストシーンのような、見ようによってはセーヌの川筋のような、不思議な景色だ。今朝、ばあさんをデイケアセンターに送り出して、今日は東中野の日本語学校に行くところだ。ライナーの車窓を見ながら来週友達と飲みに行く店のことを考えていた。

 あの店に行こうか。そこで、ふと気がついた。今の僕には「行きつけの店」がない。もちろん、行きつけの店なんかなくったっていいのだが、毎回どこへ行こうか考えるというのは楽しみでもあるが、時には面倒に思えることもある。「行きつけの店」というのに一時憧れたことがある。「ぼくの行きつけの店が○○にあるんだけど寄ってかないか」なんて言ってみるのもいいもんだと思った。あのナンシー関が「行きつけの店」という言葉の感触をズバッと見破っている。

  行きつけの店」 何とも大人な響きである。この一言の中に、成熟した生活様式、安定した経済状態、確立された趣味嗜好といった、いろんな要素を読み取ることができる。 (ナンシー関 『何はさておき』より)

 確かに、ある店を行きつけにするには上のような条件がないと難しいかもしれない。ぼくが行きつけの店を持ちたいと思ったのは、もうずっと昔ドイツにいた頃だ。ぼくの下宿のすぐ近くにレストランを兼ねた飲み屋があって、よく行っていた。その店のちょっと奥の窓側の席が居心地がよさそうなので、最初はそこに座ろうとしたがいつも店の親父が「そこはだめだ」といって座らせてくれない。席が空いているのにである。

 なんか解せなかったが、いつもとちょっと違う時間にその店に行ったときに疑問はとけた。そこにはフェルトの帽子をかぶった赤ら顔の爺さんが座ってビールを飲んでいた。店の親父に聞くとその爺さんは店の常連で席はその爺さんのStammtisch(Customers' Table)つまり、常連さんの席なのだ。その席は常連客の爺さんがいつ来ても座れるようにリザーブされているのだ。それ以来気をつけてみるとほかの店でもそれらしい席があって、そんな席で常連客同士が歓談したりしている光景を見かけた。

 会社に勤めているころ、ぼくにも行きつけの店があった。しかしそれは会社の帰りなどに、いきつけのバーのカウンター席の端なんかで一人渋く飲んでいるというムードのあるものではなかった。(残念ながら、今に至るまでぼくは一人で飲みに行ったということは数えるほどしかない。) まだぼくがいわゆる中堅社員の頃、その店には毎日のように行っていたので、店に入っていったときの店員の挨拶が「いらっしゃい」ではなく「お帰りなさい」になっていた。前の日に店のカンバンまで飲んでいて、会社が終わるとまたやってくるので「お帰りなさい」になってしまうのだ。

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 バブルがはじけて、個人的にはバブルでいい思いをしたことは何もないけど、バブルの尻拭いだけは回ってきた。毎日へとへとになるまで仕事をして倒れこむようにして会社の近くの行きつけの店にたどりつく。しかし、そこで待っているのはサラリーマンの愚痴や世間の与太話ではなく仕事の続きの話。上司も入れて喧々諤々論議をして終電で帰ってくる。家に帰ると忘れないうちに論議の使えそうな部分をまとめてドキュメントにする。翌朝、上司に見せるとそんなことはすっかり忘れているが、「これいいじゃないか」ということもある。ぼくがいつ寝ているかなんてことは端から頭にない。

 結局あれはナンシーが言ったような行きつけの店なんて類のものではなかったのだ。今となっては、とりあえずは行きつけの店よりかかりつけの医者を探しておく方が先のような気もするが。

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 極度の高度恐怖症のぼくは、とても高いところを走っているこの舎人ライナーが苦手でしたが、乗り慣れてくるとその車窓から見える光景が段々と好きになってきました。下町の街並みを低空飛行のようにかすめて走るライナーは、時として自分が神の視線を持ったような錯覚を与えてくれることがあります。その時々の光で街の表情が刻々と変わってゆきます。蒼黒い街に低く垂れこめた灰色の雲が重くのしかかっています。しかし、その向こうには天気の回復を暗示する明るいスカイブルーの空が顔を覗かせています。

*【~つけ】というのは動詞の連用形について「~しなれている、いつも~している」という意味を表わす接尾語ですが、持ちつけない大金を手にしたり、食べつけないフランス料理を食べたり、行きつけない高級クラブに行ったりすると、余り碌なことはないようです。

posted by gillman at 23:19| Comment(9) | 新隠居主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは^^
買い物をする行きつけの店はありますが・・・(><;
飲み屋さんには無いですね・・・若いころはよく飲みましたがそれでも自宅が多かったもの。
良いですね~何だか落ち着く『行きつけの店』
Posted by mimimomo at 2008年05月21日 14:20
こんばんは。車で通勤していたので行きつけの飲み屋さんはないですね。
パチンコ屋は有りました。この頃は町内の店に行くようにしています。
一人では飲みに行かないから店は殆ど知りません。
最近は家でも飲まなくなりました。
Posted by としぽ at 2008年05月21日 18:42
お酒は飲めないし、珈琲も好きではないので、紅茶の美味しい店や紅茶専門店に入り浸っていた学生時代。1日2回~3回行った事も有りました。カウンター席の決まった所に座り、お店の人が手慣れた様子でコーヒーや紅茶を入れる様子を飽きずに眺めていました。6年間通い詰めて、卒業時には私の1番のお気に入りのカップを卒業祝いだから、と下さいました。去年何十年ぶりかで行ってみたら、建物はそのままで居酒屋になっていました。頂いたカップを見るたび、マスターは元気なのだろうか?と思い出します。
Posted by 親知らず at 2008年05月22日 00:00
あの角のレストラン懐かしいですね。
ところで、あのレストランとフィッシャーさんの下宿の間あたりに、フルトヴェングラーのお孫さんが住んでゐたのをご存知でしたか?
Posted by Abraxas XIV. at 2008年05月22日 06:56
行きつけの店があるってことがかっこいい。
Posted by tanaka-ma3 at 2008年05月22日 17:44
私は学生時代から通っているお蕎麦屋さんが行きつけかもしれません。
大学のクラブの先輩が開拓したお店で「瓢亭(ひょうてい)」といいます。
大阪梅田のお初天神という神社の境内のすぐ近くにあります。
このお初天神は文楽・歌舞伎「曽根崎心中」の舞台になったところで、この作品に登場する夕霧太夫にちなんで、「夕霧そば」というのが有名です。
これは細かく切った柚子をお蕎麦に練りこんだもので、柚子の香りがほのかにします。「柚子切りそば」→「夕霧そば」になったというわけです。せいろと冷たいのと2種類あります。ここのお蕎麦を食べてから、お蕎麦好きになりました。
Posted by coco030705 at 2008年05月22日 22:06
私も行きつけの店ってないですが、まあ、残念とも思いません。自分の趣味をひけらかすほどのレベルではないしーー。行きつけの店に使うお金があれば、旅行して、写真を撮りたいしーー。でも、これは、人それぞれですね。価値観でしょうかーー。
Posted by テリー at 2008年05月22日 22:13
隠れ家が欲しい・・・
Posted by 花火師 at 2008年05月24日 02:10
私も近くに行きつけの飲む場所があって、会話が楽しめて、息が抜ける隠れ家があるといいな~って思います。
若い頃は・・・おばかが集まる、ご近所のたまり場があって、
行けば誰かが居て、楽しかったな~。
Posted by こぎん at 2008年05月26日 12:09
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