2024年12月28日

日向ぼこ

日向ぼこ
 
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 ■ 硝子戸の 外の風見る 日向ぼこ(丑久保勲)
 
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 長い夏からあっと言う間の秋を通り越して冬の日がやってきた。若いころはお気に入りのコートが着られたり冬はそれなりの楽しみもあるのだけれど、歳をとると筋肉が強張って朝身体が痛い、肌がカサカサするとか辛いことがいっぱい待っている。そういう中で「日向ぼっこ」は年寄りの少ない楽しみの一つなのだ。縁側で猫の頭でも撫でながらうつらうつらする、というのが一昔前の幸せな老後のイメージだったかもしれない。

 昔の家には縁側があったけれど、今はそんな粋なものはないので、南に面した出窓から差し込んでくる優しい生暖かい陽の光にソファーの上で身を任せるのがせいぜいなのだが、これが何とも気持ちいい。「日向ぼっこ」は俳句では「日向ぼこ」とか「日向ぼこり」とか詠まれることが多いのだけれど、これは「日向惚け在り(ひなたぼけあり)」が「日向ぼこり」になってそこから変化してきたらしい。

 「惚ける」は「ほうける/とぼける/ぼける」などと読み「ぬくぬくとした陽にほうけている」といった意味になるのかもしれない。いずれにしてもだら~っとした気持ちよさが伝わってくる。
 
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 猫は日向ぼっこの名人だ。猫は、心地よさの鑑定家だ/Cats are connoisseurs of comfort.(ジェイムズ・ヘリオット)という言葉があるけど、まさに家の中で一番心地の良い場所を素早く見つける能力に長けている。歴代の猫もそれぞれにお気に入りの日向ぼっこの場所を持っていた。

 ハルは外が見えるテラスが好きだし、モモはソファの前のオットマンの上、レオはリクライニングチェアに、タマはソファを広々と占領して寝るのが好きだった。クロは時々ベッドの上でも寝ていたが一番はやはり母の膝の上だった。こうして写真を見ていると日向ぼっこの写真は幸せな時間の残像のように思えてくる。
 

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 ■ ここに母 居たらと思ふ 日向ぼこ (下村常子)
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2024年08月17日

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その47~ 注文の多い置物

注文の多い置物
 
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 ■ 平穏の理想形は座る猫の姿の中に存在している。(ジュール・ルナール)
  The ideal of calm exists in a sitting cat. (Jules Reynard)
 
 アメショーのハルがウチに里子に来て六年が経つ。引き取られたときに二歳だったから今年で八歳になるのだけれど、最近は5キロ越えの大猫の部類に…。肥満がちょっと心配だが毎日二度の目薬をさす以外はいたって元気だ。モモレオが居て賑やかだったご飯タイムも今は一人で寂し気だ。

 ハルは今は絡む相手もいないから寝ていることが多い。昼寝をするのにお気に入りの場所は何カ所かあってそこにいることが多いのだけれどいつも眠っているとは限らない。特にお気に入りの出窓に座っている時にはジッと遠くを見つめていることが多い。

 猫が前脚を胸毛の内側へ折り曲げて座るスタイルを「香箱座り」というらしいのだが、その姿は安定していてルナールの言うようにいかにも平穏で静謐な印象を与える。ウチのハルもよくその香箱座りをしている。そんな姿を見るとぼくも癒されて猫時間に包まれてしまう。

 猫時間に包まれてぼくもまったりしている時、ハルがいきなりすっくと立ちあがってぼくの方にやってきてぼくの脚に身体をこすりつける。時には体当たりしてくるような勢いで。そういう時は必ず何かのお願いなのだ。おやつかお水か、トイレの掃除か、まぁ大抵はブラッシングの要求だ。

 レオが何か注文があるときには真っすぐぼくの方にやって来て顔を見つめてニャーと鳴いたのだけれど、ハルは一切鳴かないのでこの体当たり作戦なのだ。アート作品の置物のような静的な姿からいきなり、活発なおねだり猫になるギャップがまた何とも可愛い。
 

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 *ルナールの名著「博物誌」には、紹介されている各動物のところにシンプルな筆書きの挿絵が載っています。上の猫のイラストも猫の項目の処に載っていたものです。とてもシンプルですが猫の特長が鋭く捉えられていてぼくの大好きな挿絵の一つです。実はこの挿絵を描いたのはあのボナールなんですね。それにしても、旨いなぁ。
 

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2024年05月11日

レオの納骨

レオの納骨
 
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 朝から夏のような天気。今日は前からお寺さんに頼んでおいたレオの納骨の日なので昼前にずっとウチの居間の出窓に置いておいたレオの骨壺をもってカミさんと谷中のお寺にいった。

 お寺で住職さんに挨拶をして墓所に行くと、係りの人がすでに墓石の蓋を開けて納骨する準備がしてあった。いくら猫だからといって、こちらが勝手にお墓の蓋を開けて骨壺を入れるわけにはいかない。やっぱりそこらへんはお寺のしきたりがあるのでそれはもちろん尊重しければならない。

 蓋を開けるとそこには先に葬ったモモの小さな骨壺があってその隣に並べてレオを置いた。狭い石室の中に小さな骨壺が肩を寄せるように並んでいる。もっと早く持ってこようと思ったけどなかなか踏ん切りがつかないでとうとう連休明けになってしまった。これで少しほっとしたけど、寂しさも増した。

 お寺をでると、今日は土曜日という事もあって御殿坂を昇ったお寺の前の通りには外国の観光客が多い。谷中はどういうわけか欧米系の観光客が多く、今日は団体の観光客も何グループか見かけた。いつものように佃煮屋さんで富貴豆と昆布の佃煮を買ってそば屋に。

 これもあいも変わらず卵焼きと盛りそば。それに今日は桜エビのかき揚げがあったのでそれも頼む。店の中にも欧米系の観光客が二組。一組には通訳ガイドがついていてそばの食べ方を盛んに説明していた。天気はいいが、やっぱりなんか寂しいなぁ。


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いつものおそば屋さんで食べた桜エビのかき揚げは、サクッとして優しい味でまさに春の味がしました。
  

and also...
あれから一年
 

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2024年04月26日

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その47~ 猫という時間

猫という時間
 
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 ■ 猫は時と共に価値を高めるヴィンテージ・ワインのようだ。(キャロル・ウイルボーン)
  A cat is much like a vintage wine that is enhanced with age. (Carole Wilbourn)
 
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 猫と暮らし始めてもう長いこと経つけれど、その間に楽しいこと辛いこと数えきれないほどの出来事があったけれど、その傍にいつも猫がいたことを想い出すとそれらはまさにヴィンテージ・ワインのように味わい深い時の流れだったように思えてくる。

 ぼくは猫の写真を撮るのが好きで、実際によく撮っているのだけれどただ可愛いというだけの気持ちで撮ったことはあまりなかったように思う。世の中には最近キュートな子猫の写真など可愛い猫の写真があふれているけれど、毎日猫と一緒に暮らしているぼくにとっては猫は日常生活のシーンの必ずどこかに居る自然な存在で可愛いだけの存在ではない。

 猫の魔力はぼくらのありふれた、何の変哲もない日常の時間が猫がそこに居るだけで、何かかけがえないのない時の流れのように思えてくることだ。いわば猫という時間に包まれて魔法にかかったように時間が熟成してゆく。ぼくはそれを撮りたい。

 それはまったりとした憩いの時間もそうだけれど、彼らがソファに爪を立ててそれを叱っている時も、クリニックに連れてゆくために大汗かいて追いかけている時も…、それは猫の時間。それも時と共に心の中で静かに熟成して味わい深い猫という時間に醸し出されてゆく。これからも猫という時間を少しづつカメラに収めていきたい。
 

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2024年04月06日

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その46~ TV Watcher

TV Watcher
 
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 ■ 猫とは、解答のないパズルである。(ヘイゼル・ニコルソン)
  A cat is a puzzle for which there is no solution. (Hazel Nicholson)
 
 猫と何年一緒に暮らしていても、猫たちが時々何もない虚空をじっと見ていたり、いきなり猛烈ダッシュしたり分からないことは山ほどある。この解けないパズルも猫の魅力の一つかもしれない。またそれがそれぞれの猫によってずいぶん異なるという事も楽しみのひとつだ。今まで7匹の猫と暮らしてきたけれどそれぞれの猫が個性をもっていた。

 遊び方も違うし、興味を示すものもみな違う。ただ、遊びについていうと、ウチの猫たちはお金を出して買ったおもちゃにはあまり興味を示さず、遊んだとしてもすぐ飽きてしまう。丸めた紙屑とか床に落ちた観葉植物の葉っぱなどでは飽きることなく遊んでいる。それは共通していた。お金のかからない猫たちである。
 

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 猫たちのテレビに対する反応はまちまちで、大体は無関心か気が付くとしても画面から猫の声がしたときなど極めて限定的で、たいていの猫はそれ以上は殆ど関心を示さなかった。その中でも例外はクロと今のハルなのだが、その二匹の中でも微妙な違いがある。

 クロはNHK-BSの「岩合光昭の世界ネコ歩き」が好きで、番組が始まると画面に近寄って観ていた。クロの特徴は画面の中の猫たちが現実のものと思っているのか、猫が画面から外れるとテレビの裏側に行ってそこに居ないか確かめるという事が毎回起きていた。テレビの裏にいないことを知ると不思議そうに戻ってくる。

 ハルの方はどちらかというとテレ朝の「みんなの動物園」やフジテレビの「坂上どうぶつ王国」が好きで、きっかけは画面から保護猫のか細い鳴き声が聞こえてきたのがきっかけだったのだけれど、最近は猫でなくても犬などの他の動物が写っている時でも観ている。クロのようにテレビの後ろに回って確かめるようなことはあまりなく、画面の中の出来事としてとらえているのかもしれない。

 そのハルが最近は動物番組だけでなく他の番組でもテレビをじっと、というかじっくりと観ていることがある。居間でカミさんとテレビを観ているときにふと気がづくとハルもテレビに向かって観ていることが多い。最近のハルのお気に入りは「相棒」でぼくがトイレなどでちょっと席を外しても一人で観ている。ハルのTV-Watcherとしての成長は著しいのでそのうちチャンネル権を要求してくるかもしれない。う~ん、猫が観ているのは視聴率に入るのだろうか。
 
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posted by gillman at 10:35| Comment(6) | 猫と暮らせば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする