2017年09月19日

♪ 東京のキリル・ペトレンコ Petrenko in Tokyo

♪ 東京のキリル・ペトレンコ Petrenko in Tokyo

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 一昨年バイロイト音楽祭ヴァーグナーの「指環」を観た際、その音の素晴らしさに魅せられた。その時、選りすぐりのメンバーのバイロイト祝祭管弦楽団を率いていたのがキリル・ペトレンコだった。クラッシック音楽の知識はからきしのぼくにでもその音の輝きの素晴らしさは分かったし、劇場でも最終日ペトレンコが舞台上に登場した時の拍手喝さいは凄まじかった。

 ペトレンコは現在バイエルン国立歌劇場の音楽監督を務めるが、2018年からはベルリンフィルの首席指揮者・芸術監督になることが決まり、しかも一定期間現在のバイエルン国立歌劇場の方もかけ持ちをするという引っ張りだこで、傍目で見ても大丈夫かなと思うほどスポットライトを浴びるようになった。そのペトレンコがバイエルン国立管弦楽団を率いて先日来日した。

 この日曜日に東京文化会館で彼の日本公演の皮きりの演奏会があったので聴きに行った。切符は今年の春に友人が苦労して手に入れてくれたものだ。当日の曲目は前半がラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲Op.43」でピアノはイゴール・レヴィット。ぼくは初めて聞く名前のピアニストだったが、透明度の高いその音に魅せられた。アンコールがまた素晴らしかった。

 後半はマーラーの「交響曲第五番」。これは、特に最終楽章は今まで聴いたこともないようなアンジュレーションの大きな盛り上がりで、ぼくは最高にワクワクしたけれど人によってはこれは評価の分かれるところかもしれない。難しいことは分からないが、なんと言ってもペトレンコの瞬発力、瞬時の制動力そしてそれに繊細さが共存している点は抜きんでているし、そこがぼくが一番好きなところでもある。

 驚いたのは自分の出番がおわったピアニストのレヴィットが後半ぼくらの前の席に座ってじっとペトレンコの振るマーラーに聴き入っていたことだ。所々小さく頷いたり、控えめだけどあっと言うような身振りを見せたり…。音楽家はこんな聴き方をするんだなぁと感心した。

 ペトレンコの今回の来日の目玉は何と言ってもバイエルン国立歌劇場によるオペラ公演だろう。特にヴァグナーの「タンホイザー」は注目の的だ。一昨年のバイロイトで彼の素晴らしい「指環」を観たので、今回のタンホイザーも、とは思ったのだがチケットの法外な値段を思うとなかなか踏ん切りがつかなかった。もちろん、海外から歌劇場のスタッフ一行も引き連れての公演ということを考えると決して法外な値段とは言えないのだけど。ただ、ぼくの音楽の他にもやりたいこととのバランスで言えばの値ごろ感、価値観の違いなんだけれども…。


 なにはともあれオペラの方は諦めていたところに、友人からオペラ「タンホイザー」のゲネプロ(Generalprobe)の招待券を貰った。彼が本公演のチケットを買った際に抽選で何名かをタンホイザーのゲネプロに招待するという企画に応募して当たったらしいのだ。それをありがたい事にぼくにくれるというので観ることが出来たということなのだけれども…。
 
 ゲネプロとは衣装も舞台も本番さながらの通し稽古で、コンサートのゲネプロは何度も観たことがあるけれども、オペラのゲネプロは初めてだった。それと同じ様に軽い気持ちで考えていたのだけれども、どうして、どうして、間に一時間の休憩を挟んだにしても、始まったのが午後3時で終わったのは夜の8時すぎ。それでもその日はまだ二幕までである。
 
 今回の「タンホイザー」の配役は、タンホイザー役がクラウス・フロリアン・フォークトでエリザベート役がアンネッテ・ダッシュというぼくには懐かしいコンビだった。それは2015年バイロイトで観た「ローエングリン」のローエングリン役とエルザ・フォン・ブラバント役の組み合わせそのままだった。その時も二人とも素晴らしい歌手だと思った。
 
 ゲネプロ前半は順調に進んだが、それでも随所で中断、ペトレンコの指示で少し戻ったシーンからやり直し。その度に役者はもちろん照明、字幕、小道具などのスタッフが前のシーンに戻すためにフル回転、時には大型のクリーナーが舞台効果で汚れた舞台上を掃除し直す。本番では見えないところで大勢のスタッフが動いているのだ。
 
 休憩を挟んで後半はかなり指示が細かくなって、至る所で中断する。舞台上とのやり取りもあるが、オケとのやり取りも多い。段々と熱が入ってきて、ペトレンコの指示も長くなる。こっちがドイツ語がよく分からない上に、離れていて聞きづらいので殆ど分からなかったけど、時々「もっと明瞭に」とか「そこは叫ぶんじゃなくて、うたって…」とかの断片が聴こえてきた。
 
 もう大分時間もたって、舞台上にもちょっと疲労感が…、脇役の役者は寝転んだり、主役のフォークトも舞台中央のプロンプターのカバーの端に座り込んだり、エリザベート役のダッシュも靴を脱いで水を持って来させて飲んだり、時折は床に座ったり…。その間ペトレンコは一切気にする様子もなくオケ等に指示を出し続ける。それだけ舞台上やオケとの間に信頼関係があるのだろうなと感じた。

 完璧なものを創り出すというのはほんとうに大変なことなんだ。午後8時になってゲネプロがやっと終わりを迎えた時、NHKホール中に一瞬ホッとした空気が広がったような気がした。ペトレンコは全然平気で疲れていないみたいに見えた。前夜、来日初のコンサートをこなしたばかりなのに、凄いエネルギーだなぁ。


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 *いままではオーケストラピットに入って指揮をしているペトレンコしか見たことがなかったので、舞台上で指揮する彼を見たのは今回が初めてでした。実にパワフルで、ある時は踊るように、ある時はひれ伏すように大きなジェスチャーなんですが、その左手はかなり細かく曲の表情を指示しているようでした。ここら辺に瞬発力と繊細さの秘密の一端があるのかもしれないと感じました。

**ペトレンコは日本のプレスにこう答えていました。ゲネプロでの彼はまさにそれを証明しているようでした。

 音楽のモットーを問われると、「特別なものはないが、音楽に真摯(しんし)に向かい、時間をかけて十分な準備、(オーケストラや歌手との)リハーサルをして作品に取り組む。私の身上はリハーサル、これが一番大切かもしれない」

…指揮者の役割については「リハーサルの準備段階でオーケストラと一つになること。本番で指揮者がすることは少ない方がいい。実際のコンサートでの指揮者の役割は、単に音楽を聴衆に伝えるだけ」と答えた。 (9月18日付朝日新聞デジタルより)


写真上…東京文化会館(2017/09/16)
写真下…NHKホール(2017/09/17)
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2012年11月02日

ベートーベンの夜

ベートーベンの夜

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 久々のサントリーホール。この前来たのは何年か前の冬、ゲルギウスの指揮するマーラーを聴きに来てそれ以来だと思う。今日のコンサートは友人と何ヶ月も前からチケットを買って楽しみにしていた。ヘルベルト・ブロムシュテットバンベルク交響楽団を率いて行う日本公演の皮きりの日だ。不謹慎な話かもしれないけれど、ブロムシュテットは今年で85歳になるから、彼の演奏をこれからも日本でもずっと聴けるという確証はない。ぼくにとってはチケットは決して安い額ではなかったけれど、それでも聴きたかった。

 でも直近になって今回のコンサートはあきらめなければならない雰囲気になってきた。コンサートの前日、四泊の予定でショートステイに行ってその日の夕方に帰ってくるはずだったばあさんが、朝一番ショートステイ先から電話があって背中と頸が痛むので医者に行きたいからすぐ帰ると言っているがいかがしましょうかと問い合わせがあった。

 ばあさんは辛がっているのだから、それでも予定通りにしてくれとは言えないので了承した。ばあさんが送られて来た車いすでそのままかかりつけの医者の所まで連れて行って診てもらった。特に異常は無かったが、背骨のところが痛いと言うので午後には車で30分くらいの所にあるいつも診てもらっている整形外科で頸と背中のレントゲンを撮って診てもらったが全く異常は無かった。

 病院から帰ってくるとばあさんは寒いと言ってベッドに入って寝てしまった。「検査したけれど、どこも悪くないから、大丈夫だって」というぼくの声も耳に入らないようだった。時たまトイレに行きたいときにはナースコールが鳴るのでトイレに連れてゆく。もうこれは明日のコンサートはダメだなと諦めた。

 翌朝は昼前に起きて遅い朝食もとり調子が良さそうだったけれど、食事の後片づけをしてちょっと目を離したらもうしかめ面をして頸が辛いから寝ると言い出した。これから冬に向かってばあさんにもぼくらにもさらに辛い時期が続く。コンサートの開場は6時半だけれど、もうダメかなと思っていたら、そのままばあさんが寝てしまったので夕飯はカミさんが食べさせてくれることになりなんとか家を出た。コンサート会場に入ればもう携帯は使えないから、なんとかそれまで家から電話がないように。


 サントリーホールの会場内は開演時間が近づいても所々に空席があった。やはり不景気のせいだろうか、最近はクラシックのコンサートでは空席が目立つことも多い。もっとも海外からの演奏家のチケットが高くなりすぎたということもあるかもしれない。その日のコンサートのオーケストラであるドイツのバンベルク交響楽団は、正式にはバンベルク交響楽団=バイエルン州立フィルハーモニーというドイツの名門交響楽団だが、その成立の経緯はドイツの中でもちょっと毛色が変わっている。

 それは昔のプラハ・ドイツ・フィルハーモニーのメンバーがやはり戦後ドイツ人追放で東欧を追われたドイツ人音楽家たちとバンベルクという小さな町で作り上げた交響楽団がコアになっている。したがってその音色にはドイツを離れていたドイツ人達が持っていたよりドイツ的なものを求める欲求と、プラハで生まれたことからくるボヘミア的な香りも備えているとブロムシュテットも語っている。

 昨日の演目はベートーベンの交響曲第三番「英雄」と交響曲第七番だったけれど、弦の音色は深くかつ切れも良いように思う。さらに管楽器の濁りのない透徹した響きも印象的だった。後半で演奏された交響曲第七番の全力で駆け抜けるような第四楽章が終わった瞬間には鳥肌が立つような興奮を覚えた。久しぶりに心底楽しめたベートーベンの夜だった。 (cam:Xperia)

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 *ぼくはクラシック音楽もあまり詳しくないので、大抵は知人にCDを借りたり良いプログラムを教えてもらって一緒にコンサートに行くことが多いのです。大学の頃やドイツにいる頃はオーディオに凝っていたこともあってLPで聴いたりコンサートにもよく行ったのですが、会社に入ってからはどちらかというと忙しい時間の間をぬって細切れの時間でも聴けるジャズを聴くことが多かったですね。

 **ぼくはよく行く錦糸町のトリフォニーホールが音響もよく好きなのですが、昨日久しぶりに行ったサントリーホールはホール自体はよいのですが、変な話ですがホールの規模の割にトイレが小さすぎるのではないかと行くたびに感じます。トリフォニーホールでは男子トイレに外まで行列が並ぶことはほとんどないのですが、サントリーホールは休憩時間にはいつも長い列ができているような気がします。見た感じではサントリーホールのトイレはトリフォニーのトイレの三分の一くらいの大きさだと思います。これも良いホールの一つの条件だと思いますが…
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2012年01月18日

○○家という生き方

○○家という生き方

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 久しぶりに新日本フィルの公開練習を聴きに行った。今日はダニエル・ハーディングの指揮で行われる今週のコンサートの最終練習の一部が公開されている。今までも何回か公開練習を聴きに来ているが、指揮者によってそのスタイルや楽団員とのコミュニケーションのとり方も随分と異なっていて面白い。

 今までにもクリスチャン・アルミンクゲルハルト・ボッセなどの公開練習を聴いたけれど、今日のハーディングは今週末が本番の演奏会と言う割にはかなり細かいところまで指示をしていた。アルミンクとボッセの時はドイツ人だから通訳がついていたと思うけれど、今日のハーディングは英語で指示をしていたせいか通訳はいなかった。

 今日の練習曲はマーラー交響曲9番だった。席も自由に選べたので一階席ホール前半の12列あたりに座って聴いたのだが、そこは音のバランスがとてもよかった。マーラーの交響曲はいつ聴いても心に染み入る。ぼくは19世紀の世紀末ウィーンなどは実際には知らないはずなのに、その旋律を聴くと自分の中で何とも言えない郷愁のような感情が立ちあがってくるのを感じる。週末の本番のコンサートを聴きたかったが、その日は都合が悪く行けないのが残念。

 先程、指揮者によって団員とのコミュニケーションの取り方も違うと言ったが、音楽家同士のコミュニケーションという点では共通しているところがある。指揮者の言語がドイツ語だろうが英語だろうが殆どの指示は指揮者が身振りを交えて「♪ タリラ〜ラ」とか「♪ ンパ、ンパ」などと言語以前の声で充分通じるのだ。ぼくのような素人から見ればなんとも羨ましい世界だ。

  ぼくも子供の頃には写真家とか冒険家とか、○○家(か)という生き方に憧れたことがある。だけれども結局、音楽家、芸術家、評論家、翻訳家、建築家、作家、書家、探検家、冒険家、政治家、小説家、起業家、画家、陶芸家、落語家、声楽家、写真家、そのどれにもなれなかった。それどころか何らかの分野でのちゃんとした専門家にもなれなかった。

  経営[者]の端くれにはなったが、実業[家]にはなれなかった。世間や会社という組織の中では色々な経験はしてきたが結局はジェネラリストという根無し草のような存在になってしまった。広い視野を持つという点では経験は役に立ったが、最終的に軸足を置く場所は見つからなかった。 ○○[家]というのは、△△[士]や××[師]のように国や公的機関に資格として認めてもらう必要はない。従って「ぼくは写真家です」とか「オレは画家だ」と言えば今日からでも名乗ることはできる。

 そういう意味では今からでもそう称することは可能かも知れない。要するに○○家という生き方は、それにどれだけ自分自身の中で自負を持っているか、そして周囲や時代がそれをどこまで認めているか、というとても微妙な関係の中で成り立っているのかもしれない。 ○○家の「家」という意味は辞書で見ると専門の学問や技術の流派、もしくはそれに属する者を示すらしいから、いずれにしても何らかの専門性が必要だ。

 ○○家 というのはその専門分野における生業を示す言葉であるけれど、それ以上により高いレベルの真の○○家というものに向かった生き方そのものであるように思う。と言うことは、例え名乗ってみたところで、そうおいそれと本物になれるわけではない。

 あ、そうだ、ぼくでも今からなれる○○家があった。浪費家とか倹約家ぐらいなら今からでもなれそうだが、浪費家では金が続かないから、なれるのは倹約家くらいか。まぁ、その辺で我慢しておこう。




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posted by gillman at 20:19| Comment(5) | Music Scene | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月10日

安寧は

安寧は

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  ここのところ毎年年末になると教会で行われる英国大使館合唱団の演奏会に行く。友人の知人がその合唱団の団員になっているので、その関係で毎年誘ってもらっている。音楽監督ステーブン・モーガン氏の率いるこの合唱団はアマチュア合唱団ではあるけれど、正式な音楽教育を受けた団員が多いこともあって驚くほど質が高い。

 今年の曲目はJ・Sバッハのロ短調ミサ曲だった。教会の建物に響き渡る透明な音は本当に厳かな空気を作り出していた。その日のオーケストラの演奏も素晴らしかったが、教会という場がその全てを包み込んで一つの完結した世界を作っていることに感銘した。ぼくはキリスト教徒ではないけれど、安寧をもたらそうとする宗教の一つのコアの部分を感じることができたように思う。

 その厳かな場に身を置きながら、ぼくはもう十五年近くも前に教えをこうた永井陽之助先生の言葉を思い起こしていた。その頃、世間は目前に迫りつつあった新しい世紀、21世紀に東西冷戦の終焉と情報化社会の到来という輝かしい未来を見出そうとしていた。ぼくも漠然としたものだがそんな希望を持っていた。

 しかし、半年間の講義が終わって最後の懇親会の席で、ぼくが先生に来たるべき世紀についての考えを伺った時の先生の答えはその希望とは全く異なったものだった。その時先生は来たるべき世紀はテロと地域・民族や宗教紛争の世紀になるだろうと言った。そしてそれは今その通りになりつつある。

 放っておけば傲慢で野放図になりがちな人の心を引き戻すには、祈りは大切なことなのだと思う。自己を超えるものや手の届かないものを敬い頭を垂れる心を失った時、ぼくらの中から何か大切なものが失われてゆくのかもしれない。しかし一方で祈りだけでは人はその業を超えて行けないのかとも思ったりもする。

 本来、安寧をもたらすはずの宗教が同時に今の惨劇も作り出している。もしかしたらその宗教が幸せにすると同じ位の数の人々を不幸せにしているかもしれない。キリスト教社会とイスラム教社会の対立だけではなく、古くはカソリックとプロテスタントの対立や、現在のイスラム教のシーア派とスンニ派の対立など同じ宗教の中でも鋭い対立が起きている。祈りは今どこへ向かっているのだろうか。

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posted by gillman at 22:37| Comment(3) | Music Scene | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月20日

ぼくの視界の中のスカイツリー Tokyo Sky Tree in my sight

ぼくの視界の中のスカイツリー Tokyo Sky Tree in my sight

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 ぼくの生活シーンの記憶の中でスカイツリーが動き出した。この間、友人と錦糸町すみだトリフォニーホール新日本フィルの公開練習を聞きに行った。このトリフォニーホールは家から交通の便がいいこともあるが、規模的にも大きすぎず丁度いい大きさだし音だって悪くない。ぼくはどちらかといえばサントリーホールよりもこちらの方が好きな位だ。

 その日の練習演目はヴァーグナーの歌劇「トリスタンとイゾルデ」で、そのオケ部分の最初の練習日のようだった。指揮者は常任指揮者のクリスティアン・アルミンク氏。楽団員は各々自由な私服で舞台上に上がっている。練習初日ということもあってか、練習は淡々と進んでいる。アルミンク氏の公開練習は何度か見ているが、だいたいはいつもこんな感じ。

 彼はウィーン生まれということだけれど、彼のドイツ語は訛りのないとても分かりやすいドイツ語だ。もちろん、もう長いこと日本で外国人相手に話しているから分かるように話す癖がついているんだと思うが。練習の間は楽譜のページ数や、なん小節目からなどという指示は彼自ら日本語で指示していた。曲の解釈の問題などがあるときだけ専属の通訳の人を介して説明をしている。

 公開練習は朝の10時半から午後の1時ちょっと前くらいまでで、午後の練習は非公開で行われているらしい。演奏を聴き終ってホールを出て駅に向かう途中目に飛び込んでくるスカイツリーが好い。大ホールの出口を出て地上の歩道に降りる階段の丁度一段目が始まるあたりで北側を見下ろすと、まっすぐに伸びた通りの延長線上にスカイツリーが見える。

 この通りをどこまでもまっすぐ行くと隅田川に流れ込む北十間川にぶつかるが、そのすぐ対岸にスカイツリーがある。まだ建設中の頃からこのトリフォニーホールに来るたびに、ここから段々成長してゆくスカイツリーを見るのが楽しみだった。外見がすっかり出来上がってからも、もう何度もここからスカイツリーを眺めたけれど、時には厚い雲に覆われて上半身が隠れていたり、雨に霞む日もあって見るたびにその表情が変わっている。

 ぼくは高所恐怖症だからスカイツリーの営業が始まっても、そこに行って上まで昇ることはないだろうし、わざわざ傍まで見にゆくことも無いと思う。撮影ポイントを探して撮りに行くことも無いかも知れない。しかし、スカイツリーは今確実にぼくの日々の生活の中の記憶の一部になりつつある。

 さらにぼくにとって嬉しいことは、スカイツリーは方向音痴のぼくにとって優れた道しるべになっていることだ。スカイツリーが見える限りぼくは渡り鳥みたいに方角を知ることができる。そして今密かに楽しみにしているのは、夜ライトに照らされた一本の青白い針のようなスカイツリーが東京の空に浮かび上がる姿を遠くから眺めることができる日がこれからやって来るということだ。


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posted by gillman at 16:19| Comment(4) | Music Scene | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする