天野祐吉さんのこと 昨日、知人と話していたら「君が前話していた
天野さん、亡くなってしまったね、残念だね」と言われて驚いた。「え、祐吉さんですよねぇ。亡くなったんですか?」「え、知らなかったの?」 家に帰って慌てて調べてみると10月の20日に亡くなっていた。考えて見れば、その時はぼくがちょうどイタリアに行っている時だった。そんなで、昨日の晩はいろんなことが頭をよぎってなかなか寝付かれなかった。
天野さんが編集長をしていた「
広告批評」は昔から時々読んでいたし、最終号は今でも持っている。広告批評から「引退」後、天野さんは「
天野祐吉のあんころじー」というブログを始めた。ぼくは天野さんのあの洒脱な文体が好きで毎回読むだけでなく、時にはコメントを入れたりするうちに、天野さんと言えば四国松山のイメージが強いけど、実はぼくと同じ東京
千住の育ちでもあるということが分かった。

そればかりか、
千住やっちゃ場「
武寿司」で店の大将と話している時に天野さんがぼくやその大将と同じ小学校の先輩だったことが分かった。NHKで著名人が母校で模擬授業をする番組のシリーズがあって、その中で天野さんもぼくらの母校の千住第二小学校(現在の千寿小学校)で授業をやっていたという。
それ以来、余計親しみを感じてブログの中でも時には下町の話で盛り上がったり、天野さんもぼくのブログに
コメントを入れてくれるようにもなったのだけれど、ある時から天野さんはブログのコメント欄を閉めてしまった。どうやら記事の内容について誹謗や中傷等の煩雑な書き込みが増え、面倒になってしまったらしい。有名人のブログは大変なこともあるようだ。
そのうち天野さんから「
隠居大学」なるものを始めるのでどうですか、というお誘いを頂いてぼくも参加することにした。最初のシリーズは浅草のこじんまりとしたホールでの小規模でアットホームな講演会だった。お陰でそこではぼくの大好きな詩人の
谷川俊太郎氏を始め
横尾忠則氏、
赤瀬川原平氏や
安野光雅氏等などの興味深い話を間近に聴くことができた。
毎回講演会が終わった後に、軽い打ち上げのような懇談会があって天野さんと話をする機会があった。ぼくが自己紹介をすると「ああ、あなたがgillmanさんでしたか、お会いできてよかった」 その時の印象では引退しているとは言えまだ多忙なようすで少し疲れているようにも見えた。
天野さんとは実はもう一つ接点があった。それはブログで天野さんの子供の頃の想い出話にでてきた近所の物知りの大学生「
ひょうちゃん」なる人物だった。それは後に国会議員になった
鯨岡兵輔(くじらおか ひょうすけ)氏のことで、彼は天野さんも言っていたけれど今のような時代に何としても居て欲しかった政治家の一人だと思う。実はその鯨岡さんも小学校そして高校でもぼくの先輩にあたる人だった。天野さんとも「ひょうちゃんつながり」ですねと言っていた。。
鯨岡さんは環境庁長官時代に真摯に環境問題に取り組み、また徹底した不戦主義者としても知られていた。たたき上げの党人だけれども三木派という主流ではない派閥ゆえに受けた苦難は大いにあったはずだが、最後まで政治家としての矜持を守り抜いた。その鯨岡さんは当時ぼくの住んでいたところからすぐそばの処に居て、町内の祭りの時などによく着流しのいなせな姿を見かけた。
天野さんも鯨岡さんも様々な困難を抱えた現実を充分知りながらそれでも平和にかける思いは熱かったと思う。敢えて言えば今、日本の政治は人材枯渇のような感さえある。今の政治家から平和や自由にかける理想や覚悟を感じとることも難しいのではないか。奇しくも今まさに特定秘密保護法が作られようとしている。これを知ったら天野さんや鯨岡さんはどう思うだろうか。
posted by gillman at 13:29|
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