2017年02月09日

ヒッチコック再会

ヒッチコック再会

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 ■ サスペンスとはなにか

 …わたしにとっては、ミステリーがサスペンスであることはめったにない。例えば、謎解きにはサスペンスなどまったくない。一種の知的なパズル・ゲームに過ぎない。謎解きはある種の好奇心を強く誘発するが、そこにはエモーションが欠けている。しかるに、エモーションこそサスペンスの基本的な要素だ。…
 (「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」より)



 この間新百合ヶ丘の劇場で映画「ヒッチコック/トリュフォー」を観たら、またヒッチコックの映画を観なおしたくなった。川崎市アートセンター内にあるアルテリオ映像館は家からは遠いのだけれど、そこは有楽町のヒューマントラストシネマと並んで大手シネコンでは扱わないような映画が上映されることが多いので、新宿や銀座にでた時は時間が合えば行くようにしている。

 アルテリオ映像館は座席数も100席ちょっとと小規模でスクリーンもそれなりに小さいのだけれど、それはあまり気にはならない。映画「ヒッチコック/トリュフォー」は1962年にトリュフォーが敬愛するヒッチコックに一週間にわたってインタビューしたものを1966年にHitchcock/Truffaut (アメリカ)、Le Cinéma selon Alfred Hitchcock(フランス)というタイトルでフランス、アメリカで同時出版されたのだが、その時の音源をもとに最近ドキュメンタリー映画として制作されたものだ。

 本の方は1981年には日本でも「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」というタイトルで出版されたのだが、ぼくは'90年頃に改訂版が出たのを機に買って、もう25年以上経っているが今でも折に触れ読んでいる。(最近また復刻版で出版されたらしい) それはぼくの映画の教科書のようなもので、映画におけるいわば文法とも言える要素がヒッチコックの作品の豊富なカット割写真で実例をあげて示されている。

 ヒッチコックは生涯に57本の映画を制作した。そのうち1本は現存していないので観られないけど、他は一応すべて観たし今も手元にもある。昔苦労して彼の作品のビデオテープを集めたのだけれど、DVDの時代になって画質も向上したのでVTRの方は処分してDVDで再度集めなおしたが、彼のロンドン時代の古い作品などはネットでも観られるようになった。

 ヒッチコックのドイツ表現主義からスタートしたドイツ時代(助監督作品がある)、ロンドン時代そしてアメリカ時代と順を追って作品を観てゆくと、正に映画の歴史を垣間見ることができる。もちろん彼の映画はサスペンスという言わば限られた範囲での映画の分野であることは間違いないのだけれど、楽しさやハラハラ、ドキドキを創り出しているその根底をなしている映画文法のようなものは映画界全般への遺産となっていると思う。

 そこら辺をこのドキュメンタリー映画の中ではマーチン・スコセッシピーター・ボグダノヴィッチを始め多くの監督が証言している。これを機会にやはり二十年以上前に買った植草甚一の「ヒッチコック万歳」や、つい最近刊行された「映画術…」の翻訳も手がけた山田宏一の「ヒッチコック映画読本」も読んでみよう。CGを駆使した最近のSFスペクタクルやアクション映画にちょっと食傷気味の感がある向きは、そんなヒッチの作品を観なおしてみると意外と新鮮に感じるかもしれない。



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 *植草甚一の「ヒッチコック万歳」の初版が出たのは1976年9月だから、その時点ではまだ日本語版の「映画術…」は出版されていなかったと思うのだけれど、彼の本にはヒッチコックとトリュフォーなどのヌーベルバーグの監督たちとの関係がちゃんと書かれている。

 植草のことだから当然その時点で英語版の「映画術…」は読んでいたのだと思うけれど、すごいなぁと…。彼の書くヒッチコック映画の内容だって、今のようにDVDやPCの動画でシーンを確認することなんて簡単にはできないのに、重要なシーンはちゃんと脳裏に焼き付いている。う~ん…。これも今でもヒッチコック映画の素晴らしいもう一つの教科書だと思います。

 **あ、それからヒッチコックの評価の位置を今のようなものにしたのは、やはりトリュフォーの功績だということを忘れてはいけないなぁ。それにしても彼の死が早すぎたのが何とも残念です。

posted by gillman at 10:33| Comment(3) | Retro-Kino | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月29日

落ち葉の下には屍体がある

落ち葉の下には屍体がある

 やっとイチョウの葉が紅葉の本番を迎えた。家の近くの住宅地の公園にあるイチョウ並木がきれいだ。そこは高圧線の下の土地がずうっと細長い公園になっている。そこにイチョウ並木があって秋になると紅葉の名所にもなっている。
 
先週、イチョウが色づき始めたので写真を撮りに行ったら、イチョウは見事に紅葉していたが下の落葉は清掃のおじさんたちがきれいに片付けた直後らしく、道路の地肌が丸見えでいかにも情緒がなかった。

 今日行って見たら、しめしめ良い具合に落葉が溜まっている。イチョウ並木はこうでなくっちゃ。写真を撮ろうと思ったら、犬を連れたおばさん六人ほどが駄弁っていてなかなかどかない。僕には「どいてくれ!」、なんて言えないなぁ。ということで撮影待ち。



 地面の上にぎっしりとイチョウの葉が敷き詰められている。一つ一つの葉をみるとイチョウの木は別名「鴨脚樹」と言われるように、カモの水かきの脚に見える。わ~っ、カモの脚だらけだ、と思ったら不気味に感じた。



 以前こんな光景を見たことがあるなぁ。そうだ今年の春、桜の花びらがはらはらと落ちて、地面が毛氈のように桜の花びらで覆われていたことがあったっけ。

桜の花の下には屍体が埋められている…

夜目にも妖しいまでの桜の美しさに、日本人が考えた究極の美意識だ。
じゃあ、鮮やかな色の落葉の下には、何があるんだろうか。

■落葉の下にもやっぱり屍体がある

 ニュー・イングランドのヴァーモント。のどかな田園風景に紅葉が映える。おもちゃの光線銃を持った少年、アーニーが歩いてくる。すると、銃声が三発!聞こえた。「お前のような奴の扱いには慣れてるんだ」という男の声もした。
 アーニーが森を抜けていくと、落葉の上に男の屍体が大の字に横たわっていた。アーニーは丘を駆け下りた。ハリーという男の屍体が発見された。妻は自分が殴ったために死んだと思い、屍体を隠そうとする。だが、彼を殺したと主張する人物は他にも存在していた。彼らは誰が真犯人が知らぬまま、ハリーの屍体を担いで犯罪を隠蔽しようとするが……。

  こうして物語には自分がハリーを殺したと思い込む人間が次々と現れ、そのたびに哀れなハリーは枯葉の下に隠されたり、掘り出されたり。落ち着いて死んでいられない。
目にも鮮やかなニューイングランドの紅葉の風景の中に展開される、のんびりした殺人事件。これはアルフレッド・ヒッチコック監督唯一と言っていいコメディ・サスペンス映画「ハリーの災難」(1956年)のシーンだ。



ストーリーについてはサスペンス映画のお約束どおりこれ以上は語らないが、この作品はシャリー・マックレーンのデビュー作でもあり、面白いですよ。なにより紅葉がきれいです。

ハリーの災難 The trouble with Harry(1956)


                 
*シャーリー・マックレーンはこのあと「八十日間世界一周」そして、ワイルダー監督の不朽の名作「アパートの鍵貸します」で一躍スターになる。最近ではスピリチュアル・アクトレスとして精神世界の案内人としても活動している

*「桜の樹の下には屍体が眠っている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜があんなにも見事に咲くなんて信じられない事じゃないか。」「俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ」…これは梶井基次郎作『桜の樹の下には』の一節。

*桜の花と日本人の生死観とは深く関わっているんですね。そういう背景があるから梶井の小説にそのような表現がでてきたのだろうと思います。
  ■願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃(西行 続古今和歌集)

*近くの舎人公園で十年位前に実際に女性のバラバラ殺人事件があり、死体の一部が桜の木の下に埋められていたそうです。どの桜の木かは知りませんが、あまり、知りたくもありませんね。

posted by gillman at 20:27| Comment(19) | TrackBack(0) | Retro-Kino | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月10日

バトリシア・ハイスミスだったんだ!

バトリシア・ハイスミスだったんだ!

 今日久しぶりにビム・ヴェンダース監督「アメリカの友人」(1977)を見た。イジー・ライダー以来スクリーンからずっと姿を消していたデニス・ホッパーを引っ張ってきてブルーノ・ガンツにぶつけるなんてことは彼くらいしか考えられないかもしれない。(ブルーノ・ガンツは最近「ヒトラー最期の12日間」で評判になったらしいが残念ながらまだ見ていない。)

         

 ここのところハリウッド映画ばかり見ていたから、たまにヨーロッパ映画を見るととても新鮮な感じがする。
この映画は、病で余命幾ばくもないと思いこまされている額縁職人のヨナタンが、殺し屋に仕立てられてゆくという縦糸のストーリーに、ヨナタンとデニス・ホッパー扮するアメリカ人のリプリーとの奇妙な友情という横糸を編み込んでいる。「ベルリン天使の詩」(1987)がそうであったように、ここではハンブルグの街の風景が三人目の主人公の役をしている。僕も一度ハンブルグの安宿に泊まったことがあるが、画面に出てきたアルスター湖に面した倉庫街なんかはいかにも港町ハンブルグという雰囲気だった。

 画面のモチーフは赤色。不自然に赤く塗られた空、赤いシーツ、赤いカーテン、パリのホテルの赤い壁。それはもてあそばれている命の短さの暗示のように見える。普通のサスペンス映画を期待してみると少し肩透かしを食うかも知れない。もっともヴェンダースを観にくる客が"普通のサスペンス映画"を期待しているとも思わないが…。ストーリーの展開に従って、どうなるのだろうとドキドキする観客の心理を喚起するのがサスペンス映画だとすれば、この作品はそれだけではなく、もう少し重くのしかかるものを持っている。

 この映画の原作者をみたらパトリシア・ハイスミスとなっているではないか。(今頃、なに言ってるの、といわれそうだが…)
そのことを知っているミステリー小説もしくはサスペンス小説ファンはパトリシア・ハイスミス原作と聞いたらもう少しちがう映画を想像したかも知れない。僕は彼女の小説を読んだことはないのでよく分からないが原作はどんな作品なのだろうか。

 主人公がトム・リプリーなので、彼が主人公の五作シリーズのどれかだろうと思うがよく分からない。このリプリーを主人公としたハイスミスの映画には、この「アメリカの友人」の他にマット・デイモンが主演したその名前通りの「リプリー」(1999)と、一番よく知られているアラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」(1960)がある。

「リプリー」は観ていないが、「太陽がいっぱい」の方は大昔に観ておりルネ・クレマン監督の美しい画面とニノ・ロータの音楽が強烈に焼き付いている。モーリス・ロネの演技も素晴らしかった。こちらの方は貧しいアメリカの青年がフランス人の大金持ちのぼんぼんを殺して、金も女も手に入れようとするストーリーで、ヴェンダースのものとはまるでちがう。青年の若さ故の傲慢さと卑屈な野心とを軸として作られている。



 まぁ、映画はそれ自体で独立した芸術なので原作はどうあろうと関係ないのかも知れない。かえって感動した文学作品を映画化したものを観ると大体落胆することが多い。特に名作と言われる文学作品を映画化すると大作映画にはなるが名画とはならないことが多い。と僕は以前からそう思っていたんだけれど…。

そこらへんのことはアルフレッド・ヒッチコックなどは先刻ご承知で、彼のほとんどの作品の原作は二流の娯楽文学作品か大衆小説である。

ヒッチコック曰く。
「『罪と罰』のような名作は、それこそ、他の人間の創造的作品だからね。ハリウッドの監督は原作を裏切り、文学を台無しにするとよく言われるけれども、他の人間の創造作品に手を触れれば、それは当然そうなるに決まっている。それだけは私はやりたくないんだよ。
わたしはストーリーをただ一回読むことにしている。その基本的なアイデアさえ気にいれば、もうそれでいい。あとは原作なんか忘れてしまう。そして映画を生み出すことだけを考える。…
 …「作品」には「作者」がいる。その作者が三年も四年も費やして書き上げた小説は、いわばその作者の命そのものだ。それを、文学に取り組むなどと称して、安易に、いじくりまわし、やれ職人やら有能なテクニシャンやらが寄ってたかってでっちあげて、オスカーのノミネート作品に祭り上げたりする。真の作者はどこかにおしやられて、影も形もなくなってしまっているという有様。
まったくわけがわからんよ。」
 
(『ヒッチコック映画術』F・トリュフォー著 P57)
と散々だ。

 この話の流れからするとハイスミスのファンには言いにくいのだが、ヒッチコックはハイスミスの原作で映画作品を作っている。というよりハイスミスの作品を映画にしたのはヒッチコックが最初だと思う。僕の好きなサスペンス作品のひとつである「見知らぬ乗客」(1951)だ。

      

 筋書きは同じ列車に乗り合い知り合ったプロテニスプレーヤーのガイ(ファーリー・グレンジャー)にファンだと名のる乗客が近づいてきて交換殺人の取引を持ちかける。その男がガイが離婚したいと思っているがそれに応じない妻を殺す代わりに、ガイがその見知らぬ乗客の口うるさい父を殺すという取引だった。もちろんそんな提案は断って別れるのだが、ある日ガイの妻が何者かに殺されるところから歯車が回り始める。

ヒッチコックのこの作品はサスペンス以外の要素は全く排除されているから、観ていてもある意味で潔い。なにも知らない男が犯罪に巻き込まれてゆく、というのもヒッチコックの典型的なパターンだ。ヒッチコックがハイスミスの作品から拝借したのは「交換殺人」という卓越したアイデアでそれ以外の作品の要素はどうでもよかったのだと思う。
もしかしたらヴェンダースもハイスミスの「仕組まれた殺し屋」というアイデアだけをいただいたのかも知れない。ハイスミスはどう思っていたんだろうか。


*余談になるけど、上のハイスミスの1979年撮影の写真、手に吸い掛けのタバコを持っていますよね。これって当時はきっとカッコイイことだったんですよね。でも今はどうですかね。これを見ると時代は変わっている感じがすごくします。Retro-Kinoの映画にはタバコをかっこよく吸うシーンが多いんですが、その見方も段々変わってきますよね。

  
Kinoとは映画のことです、1970年代までのフィルムを僕はRetro-Kinoとよんで愛好しています

posted by gillman at 12:54| Comment(10) | TrackBack(0) | Retro-Kino | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月05日

僕のニューシネマパラダイス

僕のニューシネマパラダイス
   
                            Creature from the black lagoon

 トルナトーレ監督の映画「ニューシネマ・パラダイス」の中に主人公の少年が映写技師のトトのいる映写室に入れてもらうシーンがあるが、僕も子供のときに一度映画館の映写室に入れてもらったことがあったので、そのときのことを思い出してしまった。

切符売り場の脇の細い暗い階段を昇ると廊下が見える、その奥のほうの左手にドアがあってそこが映写室だった。中に入ると焦げ臭いような匂いと、オイルのような匂いがまざって独特の雰囲気だったのを覚えている。どういう経緯で映写室に入れてもらったのかは覚えていないが、何かドキドキするような別世界があるのを感じた。

・あの頃の映画館(1950年代後半)
僕が子供の頃の映画館では今では見られないようないくつかの光景が見られた。まず、上映中にたびたびフィルムが切れる。特に場末の映画館に来る頃にはかなりフィルムも傷んでいるらしく、いいシーンのところでフィルムが切れて突然真っ暗になる。

すると観客席からピーピーという口笛が鳴り出しざわついてくる。すぐ再開されるときもあるが、場内の照明が薄暗くついた時には、これは長くなるなと分かる。
そんなときはトイレに行ったり、タバコを吸いに外に出る人がでてくる。中々再開されないと、場内にはちゃっかりアイスクリーム売りやせんべい売りが回ってくる。やっと再開されると何事も無かったように映画に戻ってゆくのだからのんびりしていた時代なのかもしれない。

 それからこの頃は一般的には入れ替え制がなかったから、映画の途中でも入って、また見たシーンのところまで来たら帰るというのが普通だった。あ、ここはもう見たなと思ったら一回りしたわけで、それを頭の中で繋げ直して考えるわけだ。
もっとも入れ替えが無いから同じ映画を二回も三回もみる者もいた。僕自身も学生のとき「地上最大の作戦」を三回続けて見たことがある。

 当時、映画館に行くともうとっくに上映が始まっていて、ロビーにまで中の歓声や拍手が聞こえてくることがあった。時代劇などで悪者と主人公の格闘シーンなんかで観客がハラハラしているところに、救援の奉行が馬に乗って駆けつけるようなシーンでは、観客席から盛大な拍手がおこる。「いそげ~」とか「いいぞ~」とか言う声がかかり、まさに観客とスクリーンが一体となっている。
今、そんなことしたら怒られるだろうな。

・最初の映画
 僕の子供の頃に見た映画で記憶がある一番古い映画は「肉の蝋人形館」(House of Wax/1953)という映画だろう。1953年封切りの映画だからその直後くらいに見ているはずだ。自分の記憶では小学校に入ったばかりの頃だと思う。

両親に連れて行ってもらったが、怖くてずっと泣いていたのを覚えている。最初の記憶がホラー映画というのもなんだが、蝋人形館が火事で炎に包まれると蝋人形の顔の蝋が溶けて次第に下から本物の人間の顔が現れてくる。殺人鬼に殺された人たちが蝋人形にされていたのだ。

準主役の博士の助手役の俳優が、風変わりな怖い顔をしていたのが特に恐ろしかったが、後になってその役者は当時チャールズ・ブチンスキーという名で出ていたチャールズ・ブロンソンだと知った。

  

 やはり同じ頃の映画でもう一本記憶にあるのが「大アマゾンの半魚人」(Creature from  the black lagoon/1954)だ。これも両親に連れて行ってもらったが両親は特にホラー映画が好きだったということはないみたいだから、当時話題になった映画なのだろう。

 監督はB級映画の巨匠といわれるジャック・アーノルド監督だがモノクロームの画面の中ではアマゾン川の薄くらい水中の世界が展開される。半魚人は中々姿を現わさない。ちらっと姿が見えたかと思うと水中の岩陰に隠れてしまう。半魚人の全体が見えたときには子供心にもショックだった。この映画には今でも根強いファンがおり、専門のホームページもあるし半魚人のフィギアやティーシャツなどのグッズもずいぶん出ている。因みにこの半魚人の名前はGillman(エラ男)という。僕のハンドルネームはそこからとっている。醜い怪物なのにシャイでそのくせ分不相応なものに憧れて執着している。なんだか得体のしれないところが気に入っている。

               
                            Gillman
posted by gillman at 23:04| Comment(13) | TrackBack(0) | Retro-Kino | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月07日

ヒッチコック月間にしよう

 

 昨日、100円ショップのダイソーに行ったら、ヒッチコックのイギリス時代の作品「サボタージュ」のDVDが315円で売っていたので思わず買ってしまった。嬉しいような、情けないような!。

その作品のVTRはもう持っていたが画像が劣化しないのでDVDの方がいい。この作品を含めて家にあるヒッチコック作品のVTRは42本になった。彼は生涯で53本くらい撮っているが、日本で手にはいるのは42~43本だと思う。この間久しぶりに植草甚一「ヒッチコック万歳!」を読み直したら、急にまた彼の作品を見たくなってしまった。

来月はヒッチコック月間にしよう。トリュフォーの「ヒッチコック映画術」を側に置いて、各作品の一つひとつのシークエンスを楽しみながら見てみたいが、一ヶ月では無理かな。

posted by gillman at 20:07| Comment(1) | TrackBack(0) | Retro-Kino | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする