2020年09月13日

沸騰する世界

沸騰する世界

 火にかけられた鍋の中のお湯が今まで静かだったのに、それが沸点に達した瞬間いきなり煮立って吹き上がり始める。もちろん目には見えないけれど静かなお湯の中でも沸騰するためのプロセスは確実に進んでいたのだがそれがぼくたちには見えなかっただけなのだけれど…。

 世界は今そんな時を迎えているのかもしれない。たった10年で世界は熱せられた鍋の中の湯のように煮詰まり始めた。沸騰前に鍋の底からいくつもの小さな泡が沸き上がるように、よく見れば今までも個々の国や事象での予兆はあったのに違いないのだけれど、それは何か繋がったもののようには見えていなかったのかもしれない。

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 2011年に訪れたトルコもこの10年で大きく変わってしまった。当時はEU加盟を見越してコインのデザインもユーロ風になっていたのだが、その後エルドワン政権になって急速に右に舵をきっている。多くの宗教的紆余曲折を経て今の形に落ち着いた世界遺産のアヤソフィアもこれからはモスクの寺院にされることが決まった。

 イスタンブールからダーダネルス海峡を渡ってしばらく行ったエーゲ海に面したところにアイワルクという保養地がある。海岸沿いに瀟洒なホテルが立ち並ぶ風光明媚なところだ。早朝、朝霧の中を海岸を散策すると陽の光のかげんで時折空中にふっと小さな虹が浮かび上がった。夢のような瞬間だった。 

 朽ちた桟橋の向こうにはうっすらと島影が見えるが晴れた日にはその先にはレスボス島の島影が見えるという。海岸線からは目と鼻の先にあるが、そこはもうギリシャ領だ。レスボス島はレズビアンの語源にもなっている伝説の島だが、今この島が大変なことになっている。


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 Dardanelles Channel


 レスボス島にはトルコなどからの大量の避難民や移民が押し寄せ、島の難民キャンプは混乱に陥っている。難民の大半はシリアやアフガニスタン等からで、トルコを経由してギリシャそして欧州本土を目指している。難民の数はキャンプの3千人の定員をはるかに超えて一万人以上が対岸トルコからやってきた。

 数日前にはそのキャンプでコロナ感染が判明し、それにからんで数カ所から放火と思われる火災が発生、キャンプが全焼して大混乱に陥った。難民・移民に関してはドイツがメルケル政権の方針で数百万人を受け入れたことによっていまだにドイツは混乱しており、右派の台頭も招いているし、このコロナ禍で欧州はもうどこも難民を入れようとはしないだろう。*

 よく化学反応はちょとした刺激や添加物の投入で劇的に進むことがあるといわれるけれど、煮詰まりつつあった世界が新型コロナという刺激で一気に沸騰した感じになった。これはもとに戻ることはないだろうし、これからどのような変化が待ち受けているのだろうか。

 *先日ドイツがレスボス島の難民のうち家族連れを中心とする1000人規模の難民受け入れ表明をしました。


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 Cappadocia


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IstanburDSC02384.JPG*イスタンブールのアヤソフィアを訪れた時、入場まで少し並んで待たされたのだけれどその時近くにトルコの小学生の団体らしい子供たちがいました。みんな陽気で人懐っこい笑顔が溢れていました。あれから10年近く経って彼らも大人になっていると思うのですが、どんな大人になっているんでしょうか。今でも彼らの顔から笑顔が消えていないことを祈ります。(アヤソフィアにて)
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2019年05月11日

Déjà-vu No.13 島情け

Déjà-vu No.13  島情け


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 「今度は、夏においでよ、海の色が違うからさ~」
 「そうだね、一度夏に来てみようかな」

 と、宿の女将と毎回同じような会話がなされるのだけれど、いまだに島には夏行ったことがない。大抵は冬か春先。春先なら本土で花粉がとび始まる頃までか。板を小脇に抱えた若者でごった返す夏の海岸は苦手だし、そんなところにいても身の置きどころがない。

 ぼくが島ですることと言えば、散歩と読書とそれに昼寝と島の話を肴に飲む酒くらいか。朝昼夕と散歩して、その間は昼寝して昼飯は島で一軒しかやっていない食堂でタコライスなぞを食べる。ぼくのような、たまに来る余所者からすれば天国みたいなところだけれど、島には地獄のような時代もあった。

 宿の後ろの家のおばさんは隣の島の出身で集団自決の生き残りでもある。隣の島にはぼくも大好きな長く美しい海岸線をもつビーチがあるのだけれど、そこには昔集落があったのだが、海流の関係か子供の溺れる事故が多発して結局集落は他に移っていったという。美しいけれど、恐ろしいものが島にはたくさんあるのだ。

 もちろん、都会では見られないようないいこともたくさんある。今でも春になると島で見たある光景をよく思い出す。その年は春先に島に滞在していたんだと思う。いつものように散歩をして帰り道に一休みしようと港にも寄ってみた。港には町内連絡船が停泊していたので、ぼくはベンチに腰掛けて乗客の乗り降りや荷物の積み下ろしなどをぼんやりと見つめていた。

 その時、突然頭上から歌声が聞こえてきた。その歌声は後ろの待合所の二階のバルコニーから聞こえてくる。振り向くとそこには三人の少女が立っていて、ちょっと恥ずかしそうにでも背筋を伸ばして歌っている。そうか春の異動の時期なのできっと先生が転勤で島を後にするということなのかもしれない。彼女たちは歌で先生を送り出しているのだろう。

 島の住民は全部で250人位で、島には小中学校が一緒になった学校がある。そこの先生かもしれないし、もしかしたら近年橋で繋がった隣の小さな島の学校の先生かもしれない。隣の島の住民は80人くらいだけれどやはり小中学校がある。歌は町内連絡船が出港するまで続いていた。

 東京の下町の喧騒の中で育ったぼくにとっては、なんか目の前で今起きている光景は別の世界での出来事のように映っていた。しかし、それも彼らにとっては日常の光景には違いないのだろう。世界のいたるところで、それぞれの日常が動いているという、ごくごく当たり前のことが深くぼくの心に浸み込んだ瞬間だった。

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2019年02月09日

Déjà-vu No.12 旅先の光

Déjà-vu No.12  旅先の光

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 ■ …子供のころ、たまらなくどこかへ出かけたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなにむずむずしなくなるよ」といったものである。年齢からいって大人の仲間にはいると、中年になればおさまる、とのことだった。いざ中年になると、こんどは「もっと年をとれば、その病はなおる」といわれた。いま五十八歳だから、これだけ年をとれば、だいじょうぶなはずである。ところが、病はいっこうに治らない…
       (ジョン・スタインベック 『チャーリーとの旅』/大前正臣訳) 


 きっとそんなに長い間ではないのだろうけど、自分としては、もう長いこと旅をしていない気がする。ジョン・スタインベックの小説に上のような部分があるのだけれど、ぼくは70も過ぎたというのに今でも旅の「むずむず」は治らないみたいだ。もう五十年近くも昔、まだ二十歳を少し過ぎた頃ロシアとヨーロッパを抜けてアフリカのカサブランカに行くと決めたとき叔父の一人に「この子は何をやりたいんだろうねぇ…」と訝られたことがあった。

 それは今思うと最初の「むずむず」みたいなもので、自分でも抑えることのできない何かの衝動だったのだろうと思うし、説明しろとか、目的は何だとか言われても答えることができないものだったのだとも思う。とはいえ、その「むずむず」の中身は歳と共に変わってきてはいるようだ。

 若い時のように動き回って何かにぶち当たるのを期待しているようなことは余りなくなった。もちろん体力がなくなってきたこともあるのだけれど、今は動き回るよりも何か新しい「居心地の良さ」みたいなものを探しているような気がする。じゃあ、今が居心地が良くないのかと言うとまったくそういうことはないし、その証拠に旅に出たとたんに後悔して家に帰りたくなる。

 だから、旅の途中で居心地の良い居場所が見つかれば例えば飲み屋やカフェや公園など、あとは動き回りたくなくなるのだ。それを旅と言うかどうかは、よくわからないけど、そういう風に「むずむず」の中身は変わってきた。


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 そういう風に「むずむず」の中身が変わってきたのは歳のせいもあるけれど、その土地を楽しむやり方が若い時のようにただ動き回るのではなくて、どこか居心地のいいところに落ち着いて味わう、その土地の音や匂いや空気、光の移ろいなどをぼんやりと時の過ぎるままに、その中に身を任せて味わうという風に変わってきた。まぁ、半分は怠惰になった言い訳なのだけれど…。

 でも、そうするとちょっと困ったことになった。その土地を味わう一つの大事な要素である匂いが全く分からなくなってしまったことだ。普通、旅に出てその土地の駅や飛行場に降り立った時、真っ先にその土地、その国特有の匂いがぼくたちを襲う。それはある意味でぼくたちに「さぁ、きみの感覚のアンテナをはりなさい!」という合図でもあるのだ。その次にその土地の音が、そして光がやってくる。それが無い。

 以前旅したベトナムやカンボジアはその土地に着いた途端に本来は色々な匂いが洪水のようにぼくらを襲うはずなのだけれど、それがない。その時には既に嗅覚が失われていたから旅に現実味がないのだ。 とまぁ、嗅覚を取り戻す努力はしているけれど、失くしたものを嘆いているだけでも仕方がない。でも、昔の旅の写真を見ていたらぼくにはまだ光が残されていることに気が付いた。

 匂いと同じように、その土地にはその土地の光がある。しかもそれは同じ場所に居ても常に移ろっている。もしかしたら、今まで嗅覚に振り分けていた関心と感性を光の方に注げば、今までとは異なる「居心地のいい場所」を見つけることができるかもしれない。しかも、匂いは記憶の中にだけ残りえるけど、光は努力すればその一部を写真と言う形で残してまた後日味わうこともできるかもしれない。これからは今まで見逃していた旅先の光により目を向けようと思う。もちろん、嗅覚が戻ればそれに越したことはないのだけれど…。



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2018年08月04日

[Déjà-vu] No.11 旅に出たいが…

[Déjà-vu] No.11 旅に出たいが…


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 ■ 旅3 Arizona

 地平線へ一筋に道はのびている
  何も感じない事は苦しい
 ふり返ると
 地平線から一筋に道は来ていた

 風景は大きいのか小さいのか分からなかった
 それは私の眼にうつり
 それはそれだけの物であった

 世界だったのかそれは
 私だったのか
 今も無言で

 そしてもう私は
 私がどうでもいい
 無言の中心に至るのに
 自分の言葉は邪魔なんだ


   
(谷川俊太郎 詩集『旅』より)


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 前にも少し書いたけれど、旅から戻って少し経つとまたどこかへ行きたくなる。そういうのを放浪癖というのかもしれないけれど、ぼくのはそれともちょっと違う。放浪癖というのは山下清がそうであったように「放浪」すること自体が好きなのであって、定着することが苦痛なのだ。つまり、そこには定着イコール束縛という図式があるようだ。

 放浪する者にとってHOMEは息苦しいものであって帰るべきところではないらしい。ぼくは「放浪」と「旅」の違いは帰るべき日常があるか無いかだと思っている。そういう意味ではぼくには帰るべき日常があるし、日常こそ人生そのものだと思ってはいるのだけれど…。

 それどころか、旅に出たとたんに家に帰りたくなるし旅に出たことを悔やんだりするのだ。始末の悪いことに、ぼくは旅に出てもそれなりの日常を探そうとしたり、旅先で新たな日常を創り出そうとしたりする。ホテルの部屋につくなり、持ってきた物を置く定位置を探ったり、また来るかも分からないのに行きつけの店を作ろうとしたり…。だから、観光は余り得意ではない。ただ、いつもとは異なる場所で、朝飯を食ったり、本を読んだり、飲んだくれたりという日常を作りたいのだ。

 旅になんか出なくたって、君の周りに素晴らしい世界があるじゃないかと、ぼくの好きな画家たちが囁く。ボナールもハンマースホイもモランディもそしてワイエスも…。人生の大半をたった二か所で暮らしたアンドリュー・ワイエスはこう言う。「…このひとつの丘が私にとっては何千の丘と同じ意味を持つ。このひとつの対象の中に私は世界を見出す」と。

 写真家のソール・ライターもそうだったな。だから、旅に出て何か物珍しそうなものを探そうなぞとキョロキョロしているうちに人生は終わってしまうぞ、と。今は物理的にも身の回りのものに目を向けざるを得ない状況にもあるし、そういうライフスタイルが、そもそもぼく自身日常の些細なことが好きだという自分の性格にもあっているかもしれない。だから、しばらくは身の回りにもっと目を凝らして…広くよりも深く、 …ああ、でもやっぱり旅に出たいっ。


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2018年08月01日

[Déjà-vu] No.10 旅に出たい

[Déjà-vu] No.10 旅に出たい

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 ■ 旅 1

 美しい絵葉書に
 書くことがない
 私はいま ここにいる

 冷たいコーヒーがおいしい
 苺の入った菓子がおいしい
 町を流れる河の名はなんだったろう
 あんなにゆるやかに

 ここにいま 私はいる
 ほんとうにここにいるから
 ここにいるような気がしないだけ

 記憶の中でなら
 話すこともできるのに
 いまはただここに
 私はいる

   (谷川俊太郎 詩集『旅』より)


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 毎日異常な暑さが続いている、ぼくがいつもパソコンを打っている二階の部屋は西向きなので午後になって西日がさして、さらに屋根裏に溜まった熱い空気がブロック高気圧のように停滞しもの凄い室温になる。この間は午後の3時で39.8度その後一瞬40.1度までなった。

 こうなるとエアコンをフル稼働させても中々温度は下がらないで、その時は二時間たっても33度までしか下がらなかった。カミさんは室温の上がらない涼しいうちからエアコンをつけておけというけれど、電気代のことを考えると二の足を踏んでしまうし、それにまだそれほど熱くなければ外気の入る状態の方が良いのだけれど…。(と、言っている間に熱中症になるのかも知れない)

 三匹の猫たちの暑さに対しての対応はまちまちだ。モモは35度くらいでも僕の部屋の机の上で寝ている。寒い国の猫のはずなのに大丈夫なのだろうか。ハルはいまどきの猫らしくエアコン好き。エアコンの吹き出し口の下などで寝ている。レオは暑がりだけどもエアコンが嫌い。エアコンをつけるとすぐ部屋を出て行ってしまう。

 だけど長毛種のペルシャだから暑いはずで玄関や風呂場のなどのタイルの上で寝ているから、夜は冷凍庫で冷やしておいたアイスノンをタオルにくるんで置いてやるとその上で寝ている。ぼくはと言えば病院でのリハビリと母の処を行ったり来たり、それ以外は比較的涼しい寝室で寝ころんで本を読んだりしているのだが、そろそろどこかへ行きたくなってきた。

 でも今は母のこともあるし、自分の脚の具合もあって旅にいける状態ではないのだけれど、そう思うと尚更のこと行きたくなるのだ。ぼくはウチにいても退屈するということは全くないのだけれど、そして旅に出ればすぐにウチに帰りたくなるのだけれど、放浪癖というのか暫く経つとまた旅に出たくなる。旅の代償行為として今は昔の旅の写真を引っ張り出しては眺めている。



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 *あ、丁度1000本目の記事になりました。今後ともよろしくお願いいたします。


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posted by gillman at 09:20| Comment(10) | Déjà-vu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする