2023年11月16日

旅愁 Portugal

旅愁 Portugal
 
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 考えてみたらもう長いこと旅をしていない。ありふれた日常にどっぷりとつかり込むのも嫌いな方ではないけれど、それでもたまには旅に出て新たな日常に触れてみたい衝動みたいなものが起きてくる。

 ぼくの旅は何かを観て歩くというよりは違う場所、違う環境の日常に身を置いてみたいという欲求を満たすためのものみたいで、従って旅先でも行動は普段とあまり変わらない。毎年行っていた沖縄でも一日は散歩と読書と昼寝と居酒屋というルーティンみたいな生活で、新たな人との出会いということをのぞけばそこに目新しいものはない。

 海外旅行にも望むものは同じようなもので、ぼくの理想はどこか遠い異国に行きつけの飲み屋がある、みたいな気持ちなのだ。もちろん海外は同じところにそう何度も行けるわけではないのでそれはあくまで理想なのだけれども…。

 そんな事の何が楽しいんだと言われると少々困るのだけれど、あえて言えばその土地やその国の旅情というかその時にしか感じえない時の流れみたいなものが魅力なのかもしれない。旅情と似た言葉で旅愁という言葉があるけど、それはいくぶん旅の孤独感の方に軸足があるような気がする。親しい仲間内でわいわい言いながら旅するのも悪くはないけど、そこに旅愁はないような…。

 ぼくの場合、旅情や旅愁の中には、どこか懐かしさやノスタルジーが含まれていて旅先でそう感じられる瞬間にあうと何とも言えない人生の充実感を感じる。ポルトガルはそんな時の流れに多く触れられる国だったような気がする。

 小さな村の早朝オープン前の野外カフェに流れる優しい時の流れ、コインブラ大学の講堂での学位授与式での誇らしげで緊張した空気、ポルト港の鈍色の空をゆっくりと滑ってゆく鳥影。奇跡の丘ファティマの大聖堂に差し込む白い光。そういったもの全てが時の流れの愛しさを告げているように感じた。また、そういう時の流れに出合えればいいのだけれど…。
 

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 *ポルトガルで撮った写真を3分強のスライドショーにまとめました。バックに流れるファドの歌はMarizaというポルトガルの国民的ファド歌手で、オビドス村の小さなCD屋さんで教えもらったアルバムからとりました。よろしければYouTubeで限定公開していますのでご覧いただければ嬉しいです。↓
 
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and also...
もの想う海
 

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2023年03月03日

麗しの国 トルコ

麗しの国 トルコ
 
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 ■ 旅 1

 美しい絵葉書に
 書くことがない
 私はいま ここにいる

 冷たいコーヒーがおいしい
 苺の入った菓子がおいしい
 町を流れる河の名はなんだったろう
 あんなにゆるやかに

 ここにいま 私はいる
 ほんとうにここにいるから
 ここにいるような気がしないだけ

 記憶の中でなら
 話すこともできるのに
 いまはただここに
 私はいる

   (谷川俊太郎 詩集『旅』より)
 

 トルコ・シリア大地震は犠牲者の数が今も増え続けている。同じ地震国として他人事ではない惨状に心を痛めている。ぼくがトルコを旅したのはもう十年以上も前。

 その間に世界もそしてトルコ自身の状況も大きく変わってしまった。旅した外国の中ではトルコは写真を撮るのがとても楽しかった国の一つだ。ぼくの中では今でもトルコは麗しの国のままなのだけれど…。
 
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 イスタンブールの夜明け/イスタンブールの下町のホテルに泊まった。朝、ホテルの部屋の窓から明けてゆく街並みを眺める。夜明け前の張りつめた蒼い空気がゆっくりとその青さを失い始める頃、街が動き出す。目覚めた街の音の遥か向こうにモスクの尖塔が二本見える。明けてゆく異国の朝。
 

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 モード雑誌のように/ユルギャップの巨大な一枚岩の上に立っていた時、突然美女の一団がにぎやかに登場。岩の天辺で一斉に風景の写真を撮り始めた。なんか、モード雑誌のヴォーグかなんかの表紙をみているような光景。一通り写真を撮ると美女たちは一陣の爽やかな風のように去っていった。
 

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 Turkish smile/巨大なドームを持つモスクのアヤソフィア寺院見学者の列にトルコの生徒達の一団も並んでいた。ワイワイガヤガヤと楽しそう。こんにちは、声を掛けると皆で大騒ぎ。こぼれんばかりの笑顔が嬉しかった。あれから十余年、この子たちももうすっかり大人になっているに違いない。今ごろ何をしているのだろうか。
 

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 白いハネムーン/パムッカレの純白の崖には多くの温泉が湧き出ている。水着を着てバスタブのようにお湯のたまった窪みで湯あみしている人もいる。殆どがロシアからの観光客のようだ。新婚らしい一組のカップルが幸せそうに写真を撮っていた姿が印象的だった。
 

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 奇岩帯/ゼミ渓谷には様々な奇岩があってまるで地球ではない他の惑星に来たよう。それもそのはず、ここはスターウォーズの撮影にも使われたことで有名だけれど、一方ここには以前日本人の女子大生が強盗に襲われ殺されたという忌まわしい記憶も残っている。


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2022年05月15日

沖縄とぼくの50年

沖縄とぼくの50年
 
DSC01254.JPG竜宮通り社交街(2017)
 
 1972年(昭和47年)5月15日、米国との沖縄返還協定が発効して沖縄の施政権が日本に返還された。今日でちょうど50年になる。沖縄返還の数か月後ぼくは初めて沖縄を訪れた。

 一か月にわたるウィーン少年合唱団の日本公演の最後の地方公演地として返還直後の沖縄が選ばれて那覇でコンサートが行われて、それまでぼくも学生アルバイトとして通訳兼少年たちの世話係みたいな役目で日本各地を回って最期の沖縄にも同行してやってきた。

 演奏旅行は長期にわたるので、移動日とは別にコンサートやイベントを入れない休息日を設けて子供達を休ませる配慮をしていたが、それでもツアーの終盤になると疲労がたまるのか、ただでさえ白い少年達の顔色が心なしか青白くみえる。那覇公演が終われば後は東京へ戻って上野の文化会館での最終公演を残すのみだった。

 沖縄では大歓迎でテレビ取材なども多かったけど、那覇に入った当日はコンサートもないので子供達をビーチに連れて行った。ところがそこで子供の一人が転んでサンゴ礁で膝をパックリと切る怪我をしてしまい、救急車を呼ぶというハプニングが起こった。やはり疲れているのかもしれない。幸い数針縫っただけで翌日のコンサートには支障がないことがわかったのだけれど、ひやっとした。あれからもう50年経ってしまった。

 ぼくがその次沖縄に行ったのはそれから数年たって新婚旅行で行った宮古島の帰りに那覇に寄ったのと、またその数年後でその時にはぼくはもう就職していて真夏の沖縄に出張で訪れた。市場調査のような仕事だったので那覇の街を歩き回った。復帰から数年経ったとはいえ街にはまだ至る所にアメリカ統治の跡がみられた。国際通りもまだ今のように土産物屋だけの通りではなく、バーやレストランや生活用品の店舗など目抜き通りには違いないのだけれど生活の匂いがしていた。
 

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農連市場(2017)
 
 その出張で那覇の街をめぐっていた折に、国際通りから少し離れた農連市場という地元の人たちの台所のような公設市場があって地元の人に勧められたので見に行った。そこは狭い通りの両側にバラックのような建物が連なっていてその通りはぎっしりと人の波で埋め尽くされていた。まるで何かの刺激に興奮した蜂の巣の中の蜂たちが一斉に蠢いてブーンという羽音が聞こえてくるような熱気を感じた。その姿は那覇のイメージとしてずっとぼくの頭にこびりついていた。

 それからはずっと沖縄からは遠ざかっていたがリタイアしてから2008年頃から毎年飛行機代も安いシーズンオフに沖縄に行くようになった。ある時30年ぶり位に、そうだ、と思い立ってあの農連市場に行ってみた。脳裏にはあの日の熱気に満ちた光景がまだ残っていた。牧志市場の長い通りを抜けると農連市場の通りに出る。で、その時と同じ場所に立って唖然とした。廃墟。そういう言葉がすぐ浮かんできた。すぐ上の写真がその時の写真なんだけれど、昼前という時間帯もあったのだけれど人影はなく、とても寂しかった。

 その後に行った時にはもう再開発になるらしくて取り壊しが始まっていた。どんどん変わって行くのだなぁ。それはもちろん地元の人にとっても好い事なんだろうけど、街が日本中どこにでもあるような様子になったり、国際通りのように行く度につまらなくなっていると感じるのは、たぶんぼくがノスタルジーという病に罹っているからだろう。辛うじて栄町みたいなところにその余韻が残っているけどそれも時間の問題だと思う。最近、ツーリズム開発は土地の魅力を殺さない工夫がもっと必要かなと思うようになった。でも、まぁ50年も経てば何もかも変わるか…、いや、基地問題だけは…。


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美ら海水族館
 

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2022年04月22日

旅先の夜 Hoi An

旅先の夜 Hoi An
 
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 旅先の夜。ベトナム、ホイアン。生暖かい空気と、雑踏の響きと、光の波に酔いリアリティがとろけてゆくような熱帯夜。さっき飲んだビールの余韻に任せて暮れなずむトゥボン川の畔をブラついているが、夢の中をふらふらと歩いているようで何とも現実感が湧いてこない。

 この現実感のなさは酒や光の渦のせいばかりではない。そこにあるべき匂いの存在のなさがぼくの体験から現実味を奪っている。今ここでは川の両側に並び立つレストランや屋台の立ち上る煙から光の渦に負けないくらいの匂いが舞ってるはずなのだ。

 生暖かい空気と原色の光と飛び交う雑踏の音と入り混じった匂いがこの場の独特の空間を作り出しているはずなのだ。嗅覚を失くしてからもう随分と時間が経った。視覚で想像ができるものはできるだけ頭の中で補ってみる。
 

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  新橋のガード下の手招きするような焼鳥の匂い、柴又のゑびす家の鼻を擽るようなうな重の匂い、ウィーンの朝、オペラ通りの地下道のパン屋の匂い。どれも懐かしく頭の引き出しには仕舞われている。

 でもどうしても、東南アジアのこの状況の匂いが浮かんでこない。必死になって大昔のシンガポールや香港の時の体験を手繰ってみてもそれらしい匂いにはたどり着かない。ふと、浮かんできたのはもう50年以上も前にトランジットで一晩だけ過ごしたバンコックの夜の匂いだ。

 ホテルの前の油だらけの道路の向うに広がっていた雑然とした市場のような場所と少しすえた匂いにスパイシーな匂いが混ざり合って…。それはもちろん半世紀前のバンコックの匂いで、今のバンコック子が訊いたら怒るに違いない時代錯誤の記憶だ。

 現実に自分もその中に居るのに、自分の目の前を通り過ぎてゆく映画のワンシーンのような匂いのない世界。もちろん匂いではなくて、視覚のない世界、音のない世界など一つの感覚が欠けているマイナスワンの感覚の中で嗅覚障害は軽いと思われているし、実際にそうなのだろうけど…。それが今は自分にとっての現実なのだと思うようにしている。
 

 
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 *次第にフェードアウトするように匂いを失くしてもうかれこれ二十年近くになります。その間に手術が四度、もうこれを最後にしようと思いながら。しかし今も毎日嗅覚のリハビリを続けています。何度か光が見えてはすぐに消えていきましたが…。まだ諦めてはいません。

 **今回のコロナ禍で嗅覚障害の症状や後遺症に悩む人が増えて、皮肉にも嗅覚障害の辛さみたいなものが社会的にも少し理解されてきたような気もしますが、嗅覚障害にはガス漏れ感知や食品の腐敗感知やシンナーなど塗料の有害気化物吸引などの生活上のリスクが伴うことについてはまだあまり認知はされていないようです。
posted by gillman at 19:07| Comment(4) | NOSTALGIA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月10日

旅先の夜 リスボン

旅先の夜 リスボン
 
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 リスボンVIPグランド。リスボンで今はやりのデザイナーズホテルだというから楽しみにしていたんだけれど…、確かに新しいけど落ち着かないし浴室バスの戸が壊れていて開かない。ボーイを呼んで「どうするの」と聞いたらどこかに電話して修理は明日以降になるという。もういちど「で、どうするの」と聞いたらまたどこかに電話して部屋を替えるという。

 ただし10階まではバス無しシャワーのみの部屋で、ここ11階以上がバス付きの部屋らしいが、今日は空き室が無い…、そう、シャワーのある良い部屋があるよと。シャワーじゃダメなので「じゃ、どうするの」と聞くとまたどこかに電話して、スイートルームに替えてくれた。

 今度は確かに広いし、バスの戸も大丈夫だし大きなテレビがついているけど、使いにくい間取りでやっぱり落ち着かない。やっとシャワーを浴びて真新しいシャツを着て部屋を出た。ここでは夕食の時間は遅いらしいのでその前にちょっと街をぶらつくか、ロビーで人間観察でもするか。ホテルのロビーという処は雑踏の中の孤独というか、人が大勢居るのに誰も他人に関心を持たない、そういう雰囲気が好きだ。

 ロビーに降りると広い空間にそこそこの人が居る。今着いたばかりらしい人の一団、これから街に出るのか、誰かと待ち合わせているのか、人々の話声で空間がざわついている。空いていたソファーに腰かけてふと前方の少し離れたあたりに目をやると、カウンターバーがある。その一画は確かにデザイナーズホテルらしい雰囲気を振りまいている。

 キラキラと輝く金色のカウンターの後ろには無数の酒ビンがバックライトに浮かび上がって並んでいる。端の方にバーテンダーがひとり。顔はシルエットになってよくは見えないけれど、マフィアの用心棒みたいにがっしりとした体格にサングラスをかけている。全然デザイナーズっぽくはないぞ。

 そういえばさっきからの部屋替えのゴタゴタで何も口にしていなかったことに気が付いた。それで街に出るにしても何か一杯ひっかけてから出たいという気になってきた。遠目からボーっとバーカウンターを見つめながら「ああいう、雰囲気のバーでは何を飲むべきなのかなぁ」と…。

 でも、ビールじゃないよなぁ。めったにカウンタバーなんかには行くことはないけど、ぼくはそういう店ではジンのシュタインヘーガーにチェーサーとしてビールを頼むことが多いのだが、そういうややこしいことはあの用心棒に通じそうもないし…。

 かといってカクテルなんか皆目分からないから、まぁ、適当にマティニーとかギムレットとか言っておけばそれらしき何かは飲めるかもしれない。でも、飲む前にまずあそこのどこに座るかだ。いきなり用心棒の目の前に陣取るのもごめんだし、かと言って一番左端に座るっていうのも避けているみたいでなんなので、やはり左端から二番目あたりの席に陣取って彼が注文を聞きに寄ってくるのを待つというのが、自然でいいかもしれない。

 何と言って近寄ってくるのかな。気さくに「オラ」とか、それとも「ボンディーア」っていうのかなんとも予想がつかないが、あの顔でものすごく愛想が良かったらそれはそれでちょっと引いてしまうなぁ。とまぁ、アプローチから注文までのシーケンスを頭の中でおさらいしながらソファから立ち上がったら、数人のいかついおっさんのグルーブがバーカウンターに近づいて行ってあっという間に全席を席巻してしまった。 …しかたない、街に出てから何か飲もうか…。



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 *コロナ禍で旅行にも行けないので昔の旅行の写真を見ていると色々なことが思い出されるし、それからずいぶんと時間が経っていることもあってか想い出の中に妄想も混入したりすることもありますが、それも一つの楽しみかと…。

かつてエドワード・ホッパーの絵に触発されて作家たちを集めて短編集を作ってしまった作家がいますが映像には時として、そういう妄想を誘発する力があるのかもしれません。
 


posted by gillman at 09:45| Comment(5) | NOSTALGIA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする