2024年01月09日

レオを看取る

レオを看取る
 
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 今日、夜中の三時にレオがぼくの枕元で息を引き取った。レオは年を越せるかなと思っていたけど…なんとか。でも、もう足腰が立たないので寝たきりに近いけど、トイレだけはなんとか自分で行こうとする。先代のレオもそうだけど最後の日までトイレには這って行っていた。

 レオは夜中などに這ってトイレに行こうとして途中でオシッコなどが出てしまったり、トイレの場所がわからなかったりで、朝起きると部屋はすごい事になってるけどケージなどに閉じ込めたくないので、好きにさせていた。腎臓の衰弱も進んでいたので、ペットクリニックの先生に相談して年末からはインスリン注射もやめている。

 今朝も身体が汚れたのでキレイにしてあげたけど、もう立つ力もない。レオの手を握ってもうそんなに頑張らなくていいからねと何度も言い聞かせた。少し落ち着いてきたのでいつものように椅子の上に寝かせてぼくはジムにリハビリをしに行ったのだが、ストレッチを始めたところでカミさんからスマホに電話が入っていることに気づいて折り返し電話すると、レオの様子がおかしいから帰ってきてほしいということだった。
 
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  帰ってみると、レオは抱かれたカミさんの胸元で粗相したまま眠っていた。それからずっと昏睡状態のようになって、でも時々目が覚めると大きな声で鳴く。抱き上げてそのままソファーに座ってぼくの胸の上に寝かせてやると鳴きやんでまた眠りに落ちる。いつもの椅子の上では転げ落ちる恐れもあるので、使っていなかった猫用の丸いふかふかベッドに寝せてあげた。

 夜になってもう寝る時間になっても状況は変わらなかったけど、今夜が山だと思ったのでその丸いふかふかベッドに入ったレオをカミさんとぼくの間の枕元に置いて寝た。耳元でレオが鳴くたびにスポイトで水をあげたり頭を撫ぜてあげたりして夜を過ごした。一度は水の代わりにチューブのチュールを舐めさせたらおいしそうに舐めたりもしたので、もしかしたら今晩は大丈夫かも…と。

 夜中の二時ごろまでは覚えているのだけれどついうとうとしてはっと目が覚めたら三時をすぎていて、慌ててレオの身体に手を当てたら温かかったのでほっとしたけど、念のため顔を近づけて暫く様子を見ていたら息をしていない。ついさっきまで…ごめん。不覚にも寝てしまった。カミさんは眠っていたので朝まで起こすつもりはなかった。ぼくもかろうじてまだ温もりの残っているレオの身体に手を置いたまま眠りに落ちた。

 昼間の、もうそんなに頑張らなくていいよというその声が届いたのかな。18年間たくさんの楽しい想い出をありがとう。一緒に暮らして、一緒に笑ったね。さようなら。世界一可愛い猫。
 

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 *モモが死んだのも三年前のちょうど明日。寂しくなります。ハルは雰囲気がわかるのでしょう昨日もしきりにレオのことを覗きにきていました。今日は朝からレオのことを探しているようでした。
 

posted by gillman at 14:45| Comment(22) | 猫と暮らせば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月01日

謹賀新年

謹賀新年
 
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posted by gillman at 00:08| Comment(19) | 新隠居主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月22日

海よ

 海よ
 
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 コロナ以来、毎年行っていた沖縄に行けてないのが残念でならない。沖縄に行くと言ってもぼくが行っていたのは冬から春にかけてで、いわゆるシーズン中に沖縄を訪れたのは三度しかない。最初は1972年沖縄返還直後に、学生アルバイトでウィーン少年合唱団の日本ツアーに通訳兼子守役として同行したのが最初で、二度目はその数年後に新婚旅行で宮古島へ。その頃は島にはぼくらの泊まったホテルが一軒あるだけだった。そして三度目は会社に入って出張で真夏の那覇に。

 毎年シーズンオフに沖縄を訪れるようになったのは、ずっと後になって会社を辞めて60歳過ぎてから大学院に入って日本語教育の修士論文を書いた時、共同研究者だった女性が沖縄に嫁ぐことになってその結婚式に出席するため那覇に行ったのがきっかけだった。せっかく沖縄に行くのだからと式の数日前に沖縄に入って、数日間離島で過ごしたのが忘れられない経験になった。それ以来、気の置けない友人と現地で落ち合ったり、時には一人旅をしたりという感じで気が付いたら毎年のように沖縄に行くのが当たり前みたいになっていた。離島にも馴染の宿もできた。
 
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 沖縄の海は素晴らしい。でも、前にも書いたけれどぼくは元々大自然よりいつも行く公園のような小自然が好きなのだ。雄大な大自然の中に一人で放り込まれるとその絶景を愛でるよりも、目の前の大自然への畏怖の念からか、なんと言うかゾワゾワ感が身体の中を走りそれに怖気づいてしまってあまり楽しめないことがある。ところが、その大自然の中に人の姿や人の営みを感じられる存在を認めると途端にほっとして…親しみを感じるようになる。かと言って夏の沖縄のように人だらけの大自然は見るに堪えない。という訳で人の少ない時期の沖縄がたまらなく好きなのだ。なんとも厄介な気質なのだけれど、実際そうなのだから仕方がない。

 写真にあるような竹富島の真っ青な海をのぞむ防波堤にじっと佇む母子の姿や、慶良間諸島にある座間味島の見渡す限りの長い長い海岸線にぽつんと見える母子の姿。この時はこの海岸に半日ほどいたけれどそこに居たのはずっと最後までこの母子とぼくだけだった。最後の写真はこれも慶良間諸島の阿嘉島の海岸。この場所はウミガメがよく目撃される場所なのだけれど、シーズンオフには珍しく女の子が三人シュノーケリングをしていた。波けしブロックの上に無造作に脱ぎ捨てられた衣類が島のいかにものんびりした時間を象徴しているようだった。
 

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 *毎年沖縄に行っている頃、友人たちに一体沖縄のどんな所に行っているのかよく聞かれました。そこで10年位前にその時持っていた小さなコンパクトデジカメで初めて動画を撮ってそれを見せるようにしていました。当時のカメラであまり画像は良くありませんがYouTubeに載せましたのでご覧いただければうれしいです。3分ちょっとの短い動画です。

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2023年12月10日

銀杏【イチョウ/ギンナン/ギンキョウ】

銀杏【イチョウ/ギンナン/ギンキョウ】
 
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 昨日は眼底検査のためかかりつけの眼科に行ったが、瞳孔を開く検査をするため車ではいけないので歩いてゆく。途中、クリニックの近くの公園に銀杏並木があるのだけれど黄葉も盛りを過ぎて一面の落ち葉。もう秋も終盤なのかなと…。歩道の黒々としたアスファルトとそこに落ちた黄色い銀杏の葉の対比が見事だった。

 先の手術の際にずっとうつぶせの姿勢で手術を受けていたので、大丈夫だとは思うけど糖尿もあるので一度眼底検査を受けておいてくださいと言われていたのを思い出して行ったのだけれど、まぁ大丈夫そうだった。薬で瞳孔を開くので帰り道はサングラスを付けていても眩しくてしょうがない。

 午後になって視界の眩しさが落ち着いたので公園の方へ行ってみたら、そこの銀杏並木も盛大に落ち葉が敷き詰められていた。この公園の紅葉の光景は主にメタセコイアの並木と池に沿って植えられている落羽松の褐色というか最盛期はまさにスカーレットの紅葉が特徴的で、そこにクヌギや桜そしてナンキンハゼなどの紅葉が彩を添えているが、公園の一角には銀杏並木もあってよく見ると変化に富んでいる。
 

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 イチョウというと、その漢字なのだけれど「銀杏」という漢字を見てもどうこねくり回しても「イチョウ」とか「ギンナン」なんて読み方は浮かんでこない。ということで調べてみると中国語でイチョウのことは「鴨脚樹」と書いて「ヤァチャオ」と読むのでこれがイチョウになったらしい。またギンナンは銀杏の漢字の宋音での読み方「ギンアン」からきているらしい。

 イチョウは江戸時代にはその漢字「銀杏」のとおり「ギンキョウ」とも呼ばれていたらしい。実はイチョウは英語でもドイツ語でも「Ginkgo(ギンコ)」なのだけれど、これはその日本語から入ったものらしい。元禄年間にオランダ商館の医師として二年ほど日本に滞在していたドイツ人のエンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer)はヨーロッパでは既に絶滅したと考えられていた古代植物イチョウが日本に生えていることを発見し紹介した。

 そのさい当時の日本での呼び名ギンキョウで紹介したのだけれどそのスペルがGinkgoとなっていたのでギンコという読みになったのだが、これにはスペルの書き間違え、つまりギンキョであれば本来はドイツ語のGinkjo(ドイツ語発音ではy=j)とするところを筆記体では紛らわしい"j"を"g"と間違えたのだ、と。またそうではなくて元々ケンペルの出身の北ドイツではGinkgoと書いて「ギンキョ」と発音していたのだという説もあるらしい。いずれにしてもあのアヒルの脚みたいなイチョウの葉にも面白い歴史があるのだなぁ。
 

 ■ 銀杏ちる 兄が駆ければ 妹も (安住敦)
 

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*鎖国をしていた江戸時代は例外として長崎の出島でオランダとは通商をしており、出島にはオランダ人が居住していましたが実際にはオランダ経由でドイツ人も居住しておりこのケンペルもシーボルトもドイツ人でしたね。

 ケンペルはシーボルトより130年も前に来日しており、初めての本格的日本紹介文献である『日本誌』(The History of Japan)を著しました。そのケンペルがイチョウを、そしてシーボルトがアジサイを世界に紹介するなど、日本にとっての世界への窓として働いていたんですね。
 

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2023年12月01日

Blue Light Yokohama

Blue Light Yokohama
 
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 黄昏時を特に写真を撮る人たちはマジック・アワーと呼んでこの時間帯を好んでいる。黄昏はもちろん季節のどの時にもやってくるのだけれど、特に秋においては太陽がつるべ落としと言われるくらい素早く沈んでゆくので、自分を取り囲んでいる空間の光や様相が時々刻々と変化してゆくこともあり特に印象深いのかもしれない。

 黄昏時になると視界の中のものの輪郭もぼけてきてやがてシルエットに…。それで少し現実感も薄れて「逢魔が時(おうまがとき)」ともいわれるようにこの時間帯は事故も多いらしい。やがて日が暮れてあたりは闇に包まれるのだが、昔の人はそれを「夜の帷(とばり)が下りる」などと言うしゃれた言い方をしている。もっとも現代では電燈があるのでいきなり闇の世界はよほどの田舎でないとおとずれないけれど…。

 刻々と変化する空気の色合いもマジック・アワーの魅力の一つだ。天候にもよるけれどピンク色の空に紫が混じりやがて空気が青色に染まってゆく。子供の頃は夕闇が青色だと思った記憶はないけれど、若いころモスクワのホテルの窓から暮れてゆくモスクワ川の畔を眺めていたら、あたりの空気がゆっくりと青色をおび、その青色が明かりを点けていないぼくの部屋にも忍び込んで、気が付けば真っ青な夜に囲まれていたという体験をした。それ以来、夕暮れ時の青に魅せられている。


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 *以前徘徊仲間と横浜に行って黄昏時に大桟橋を訪れたとき青く染まる夕暮れを体験しました。暮れなずむ桟橋には対岸からはまだ昼間の余韻を残した都会の喧騒と、そしてベイブリッジを望む海側からは船の汽笛が聞こえてきてまさにBlue Light Yokohamの風情満点でした。桟橋を散策する人影もその青い空気に染まるのを楽しんでいるようでした。またあの場所に行ってみたいと思っています。
 
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2023年11月26日

週末の公園

週末の公園

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 ■ここ

 どっかに行こうと私が言う
 どこ行こうかとあなたが言う
 ここもいいなと私が言う
 ここでもいいねとあなたが言う
 言ってるうちに日が暮れて
 ここがどこかになっていく

 (谷川俊太郎 『女に』より) 
 

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 急に気温が下がったので初めてダウンジャケットを着て散歩に出た。

 主治医から許可が出たので昨日からリハビリセンターで本格的にリハビリを始めた。結構きついメニューで最初は仰向けに寝て片足を上げたまま腰を浮かす運動なのだけれど、二週間ちょっとの入院で筋肉が落ちているので、1セット目からみごとに太腿の裏側がつった。

 それからふくらはぎの筋肉に電気をかけたまま、スクワットとつま先立ち。それぞれ20回を3セットづつ、と理学療法士の先生はさりげなく言うけど…。でもまぁ、この先生とは付き合いが長いのでぼくの限界をしっているからやるしかない。最後はフィットネスバイクを25分やってあがり。気を付けて帰ってくださいね、の声をあとに病院をでる。

 週末の朝の公園は人々の営みが見えてぼくの好きな時間だ。はやく公園の丘の上まで行けるようになると良いのだけれど。最近の週末の公園で目に付くのはファミリーが多いことだ。テントを持ってきて一日ゆっくり過ごす人も増えている感じがする。コロナ禍は社会の色々なものを痛めつけ破壊していったけれど、一つだけ良いことは家族というものの存在に目が向いたことかもしれない。

 旅行や人ごみのテーマパークなどには行けないので近場の公園に行って家族で過ごす。そこにはメリーゴーラウンドもジェットコースターもシンデレラ城もないけれど、そういう仕掛けで遊ばせてもらうのではなく、自分たちで遊ぶという楽しみと喜びを教えてくれたのかもしれない。それがライフスタイルになりつつある人たちが週末の公園には増えてきている。
 

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 *今はステッキをもっているので写真はスマホだけだけど、フリーに歩けるようになったらまたお散歩カメラを持って歩きたいです。
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2023年11月21日

秋の日の…

秋の日の…
 
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 ■ 秋の歌 

 秋の日の ヴィオロンの
 ためいきの 身にしみて
 ひたぶるに うら悲し。

 鐘のおとに 胸ふたぎ
 色かへて 涙ぐむ
 過ぎし日の おもひでや。

 げにわれは うらぶれて
 ここかしこ さだめなく
 とび散らふ 落葉かな。
 
   ヴェルレーヌ(上田敏訳)


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 上田敏の訳詞はテンポがいいので好きなのだけれど、このヴェルレーヌの詩には特別な思いがある。というのは1968年に公開された映画「史上最大の作戦 (The Longest Day)」のワンシーンにこの詩が使われていたからだ。

 この詩は第二次大戦中BBCのフランス語放送がフランスのレジスタンスに対する暗号として流していた。つまりこの詩の冒頭が流されれば近いうちに連合軍の大規模な上陸作戦が行われ、そしてそれに続くフレーズが流されれば作戦は48時間以内に決行されるという意味であった。

 映画のシーンではフランスのレジスタンスのメンバーが真剣な面持ちで一台のラジオを囲んで聞き入っている。そこにこのヴェルレーヌの詩の朗読が流され、それを聞いたレジスタンスの面々が歓喜する。

 この映画の名シーンと言ってよいと思うのだけれど、考えてみれば時代は変わってラジオがVPNを経由したSNSになってはいるが、今でも色々な地域で同じように抑圧された人々が、パソコンやスマホを食い入るように見つめ何かの合図を待っているのかもしれないのだ。息をひそめて…。
 

 先週末から公園散歩を再開した。まだ距離は全然歩けないけれど痛みがないのが助かる。手術の傷にフィルムがまだ貼ってあるので風呂はまだ、シャワーを浴びている。昔頸椎を手術した時はホッチキスみたいなもので縫合してあったのだけれど今はテープらしい。

 今日は風が冷たいので身体が冷える。しばらく来ないうちに公園のピラカンサは赤くなり、落羽松も褐色の葉を落とし始めている。かと思えば変な陽気に面食らったのか桜が咲いている木もある。外の空気を吸うとそれだけで元気をもらえる気がする。
 

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 *ずいぶん昔になりますが、この映画「史上最大の作戦」で陸軍大将を演じていたドイツの俳優クルト・ユルゲンスと一度だけ話をしたことがあります。映画「眼下の敵」の名演でも評価されていた彼は最も軍服の似合う役者と言われていました。

 1972年の冬にバンコックから台北経由で羽田にゆく同じ飛行機に乗り合わせてトランジットで台北に降りたときに待ち時間に少し話すことができました。女性を同伴しておりこれから札幌オリンピックを観に行くのだと言っていました。気さくな反面、威厳に満ちた感じでした。
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2023年11月16日

旅愁 Portugal

旅愁 Portugal
 
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 考えてみたらもう長いこと旅をしていない。ありふれた日常にどっぷりとつかり込むのも嫌いな方ではないけれど、それでもたまには旅に出て新たな日常に触れてみたい衝動みたいなものが起きてくる。

 ぼくの旅は何かを観て歩くというよりは違う場所、違う環境の日常に身を置いてみたいという欲求を満たすためのものみたいで、従って旅先でも行動は普段とあまり変わらない。毎年行っていた沖縄でも一日は散歩と読書と昼寝と居酒屋というルーティンみたいな生活で、新たな人との出会いということをのぞけばそこに目新しいものはない。

 海外旅行にも望むものは同じようなもので、ぼくの理想はどこか遠い異国に行きつけの飲み屋がある、みたいな気持ちなのだ。もちろん海外は同じところにそう何度も行けるわけではないのでそれはあくまで理想なのだけれども…。

 そんな事の何が楽しいんだと言われると少々困るのだけれど、あえて言えばその土地やその国の旅情というかその時にしか感じえない時の流れみたいなものが魅力なのかもしれない。旅情と似た言葉で旅愁という言葉があるけど、それはいくぶん旅の孤独感の方に軸足があるような気がする。親しい仲間内でわいわい言いながら旅するのも悪くはないけど、そこに旅愁はないような…。

 ぼくの場合、旅情や旅愁の中には、どこか懐かしさやノスタルジーが含まれていて旅先でそう感じられる瞬間にあうと何とも言えない人生の充実感を感じる。ポルトガルはそんな時の流れに多く触れられる国だったような気がする。

 小さな村の早朝オープン前の野外カフェに流れる優しい時の流れ、コインブラ大学の講堂での学位授与式での誇らしげで緊張した空気、ポルト港の鈍色の空をゆっくりと滑ってゆく鳥影。奇跡の丘ファティマの大聖堂に差し込む白い光。そういったもの全てが時の流れの愛しさを告げているように感じた。また、そういう時の流れに出合えればいいのだけれど…。
 

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 *ポルトガルで撮った写真を3分強のスライドショーにまとめました。バックに流れるファドの歌はMarizaというポルトガルの国民的ファド歌手で、オビドス村の小さなCD屋さんで教えもらったアルバムからとりました。よろしければYouTubeで限定公開していますのでご覧いただければ嬉しいです。↓
 
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and also...
もの想う海
 

posted by gillman at 14:11| Comment(8) | NOSTALGIA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月11日

斬られました…

斬られました…
 
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 背中をばっさり斬られました。二週間ほど入院して脊柱管狭窄症の手術を受けた。基本は長引くコロナ自粛で、外出もなしジムにも行けず運動量も減っていたということがあるのだろうと思うけれど、今年の三月くらいから脚の痛みと下肢に力が入らない等で歩くのもままならない状態が続いていた。

 翌月から以前通っていたリハビリ病院でのリハビリを続けていたのだけれど、大幅に改善するということがないまま夏も終わろうとしていた。担当の理学療法士の先生の勧めで5年ぶりにMRIを撮ってみると以前はなかった腰椎部にかなり狭窄している部分があることが見つかった。

 その狭窄が神経を圧迫して色々なところに影響が出ているらしい。神経のダメージがあまり長期間続くと手術してその圧迫を取り除いてももう元通りには戻らないことが多いということで、今のうち手術を受ける決断をした。実は二十数年前に頸椎症の手術で背中には首から40センチくらいの長さの傷跡があり、今回の手術でその下の腰椎部分にまた20センチくらいの新しい傷が加わった。

 スマホで背中の写真を撮ってもらって見たら、背骨に沿って上下に切り取り線のような傷跡があって、何だか下手な辻斬りに後ろから斬りつけられたみたいで奇妙な姿である。まぁ、本人には見えないのだから良しとしよう。以前ジムのプールの中でウォーキングをしているとき、後ろから来たマダムが「あら~、首から背中すごいわねぇ、どうしたの?」と声をかけられたので、とっさに「あ、これ着ぐるみのチャックなんです」と答えたら訝し気な顔をして行ってしまった。今度またそのマダムに聞かれたら「いや~、この間辻斬りにあっちゃって…」とでも応えようかな。
 

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 入院、手術するにあたって一番心配したのはウチで毎日二回打たなければならないレオのインスリン注射と一日二回のハルの目薬さし。ぼくの入院中はカミさんに頼むほかないのだけれど、予行演習でカミさんがレオに注射しようとしたらしこたま噛みつかれてちょっと恐怖症のようになってしまった。それでもカミさんが何とか頑張って一日一回は注射できるようになったのでありがたかった。

 ぼくの方の手術で医者が一番心配していたのは糖尿があるので手術後の傷の治りに影響するのではないかということ。たまたま同じ病室の隣のベッドにいた人は頸椎の手術をしたのだけれど、やっぱり糖尿があって傷が治りにくく二週間の入院の予定が結局二か月にもなってしまったという。ぼくが入院した専門病院はコロナやインフルエンザの感染防止のため入院中は家族の面会も禁止とあって、長くは居たくないのが本音だ。

 幸いほぼ予定通りの期間で退院でき歩行時の痛みは無くなったけれど、他にも頚椎症の影響などでこれからもリハビリは続けなければならないが、自分の努力でリカバーできるのであればやりがいはある。一つづつ目標をクリアしてまたカメラをもってブラブラ街歩きのできる日を楽しみにしている。
 

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 *入院中は1400キロカロリーの糖尿病食でした。今まで入院した時もそうでしたが、実に味気ない食事で食欲もわかないことが多かったのですが、今回は比較的食べやすい食事でした。毎食出るものを観察していたら、味がしっかりついているものは量で調節して全体としてカロリーや塩分を調節しているので、どれを食べても味気ないという不満が少し薄らいでいるのかなと感じました。

 おかげさまで、二週間ちょっとの入院で2キロ程度体重が落ちましたが、看護師さんは「娑婆に出ればすぐに戻るわよ」と…。入院中は厳しい血糖値コントロールがあり血糖値が200を超えると自動的にインスリン注射を打たれました。今までインスリン注射を打ったことはないので、ああレオは毎日打っているんだよなぁ、と…。今回はいろいろと考えさせられる入院生活でした。
 


posted by gillman at 10:56| Comment(22) | 新隠居主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月21日

あらら…

あらら…
 
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 レオハルの調理監視団の活動は今も続いているけど、先月からこの二匹の監視委員の体調がすぐれない。ハルの目にできた黒い曇りはクリニックでもらっている二種類の目薬を一日二回さしているので少しづつではあるけれど好転しているが、加えて先月から膀胱炎気味でオシッコがでなくなったり、血尿がでてかかりつけのクリニックに診てもらっていた。

 ハルはクリニックに連れてゆくだけでも大騒ぎ。連れてゆこうとキャリーバッグを出す雰囲気だけでも、すぐに感じ取り姿を消してしまう。まぁ、一時間はでてこない。やっと捕まえても手足を踏ん張ってバッグの中には絶対入ろうとしない。で、ついにはクリニックの先生に教わっていた洗濯ネットを使ってやっと捕獲に成功。

 少し良くなったり、またぶり返したりでそういう状態がひと月ほど続いて、オシッコがでないのは命にかかわるのでカテーテルを入れて2泊3日の入院となった。いまは症状も出ないので安心しているけど目薬の方は相変わらず朝晩の二回さしている。
 

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 ハルの膀胱炎がやっとおさまったころ、レオを抱いたときの体重が急に軽くなった気がしたのでクリニックに連れて行ったところ糖尿病ということが分かった。もう17歳になるので人間でいえば85歳くらいにあたるらしく、そうなると猫も成人病が出てくるみたいだ。

 血糖値を測ったら通常は100くらいが正常なのだけれど、レオは600以上あってそのために水をがぶ飲みしたりしているらしい。血糖値をさげるためにインスリン注射を打つことになった。一日二回朝晩ウチでインスリン注射を打つことになり、やり方を先生に教わってもう半月以上続けている。

 最初は怖かったけれどぼくの方は慣れたのだがカミさんは怖がっている。注射を打とうとして一度レオにしこたま噛みつかれたのでそれ以来尻込みしている。インスリン注射を使い始めて一番注意しないといけないのは、低血糖に陥ることで、ひどい時には気を失ったり命に係わる症状がでることがある。

 注射をしたあとは暫く観察することと、何か症状が出た場合にはブドウ糖を口から飲ませる必要があるのだけれど、幸い今のところそういう症状は出ていない。ハルの目薬にしても、レオの注射にしても日に二回というのは結構大変だけれども、めんどくさいと思ったことはない。考えてみれば自分だって同じようなものだ、しょっちゅう病院にも行くし、薬だってしこたま飲んでいる。病気とうまく付き合ってみんなで頑張ろう、と自分にも言い聞かせている。
 

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*インスリン注射を打つのは最初は怖かったけれど、針は髪の毛ほど細いのでレオがミルクを飲んでいるすきにさっと打つようにしています。レオは長毛種のチンチラなので地肌が見にくいのですが、夏の間に毛玉を切ってまだ地肌が見えている部分が何カ所かあるのでそこに打っています。恐らく注射はこれからもずっと続ける必要があると思うのですが、レオが痛みもなく楽に暮らせるるように手を貸して、天寿を全うできるようにしてあげたいと思っています。
posted by gillman at 20:33| Comment(8) | 猫と暮らせば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする