2023年09月25日

モラトリアム トーキョー

モラトリアム トーキョー
 
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 今年の9月1日であの関東大震災からちょうど100年になる。そして世界でも今年二月のトルコ・シリア地震そして今月初めのモロッコ地震と立て続けに大きな地震が起きている。現地からの映像を見ているとまさにがれきの山で救出もままならない状況に胸が痛む。とても他人事とは思えない。

 と言いながらも心のどこかでは、モロッコでは家などの構造物が日干し煉瓦が主体だから…とか、トルコの場合も必ずしも耐震基準が守られていなかったのでは…とか、関東大震災も当時は街自体がほとんど木造で耐火性に乏しかったから…とか、なんとか自分たちの街はそこまではいかないのではないかと思い込もうとしているのかもしれない。

 しかし、阪神淡路大震災のことを考えると今の日本のビルや街が安全という思い込みはできないし、安全と言われた高層ビルにしても次第に明らかになってきた長周期振動の恐怖もぬぐい切れない。ぼく自身は被災しなかったのだけれど、ぼくは今でも1995年に起きた阪神淡路大震災の時の経験を忘れることができない。

 1995年、年初の正月気分がやっと抜けた1月17日、地震が起こった。朝出勤前に家でテレビを見ている限りでは、神戸で今本当に何が起きているか定かには分らなかった。当時、ぼくは企業の東京の本部に在籍しておりいつも六時前には自宅を出て七時過ぎには会社のデスクに座っていたが、そこに神戸支店長が悲痛な声で電話をかけてきた。

 今、神戸支店のあるビルに入ろうとしたのだが、オフィスのある4階フロア全体がすっぽりと潰れて無くなってしまっている。ビル自体も傾いている、と。そのビルの姿はその後のニュースの画面に何度も登場したが、その報告に全身から血の気が引いていった。電話の向こうでは支店長の嗚咽の声が響いていた。もし、それが平日のオフィスアワーに起こっていたら数十人の職員が犠牲になっていたかもしれない。

 東京はいつかは分からないが、大地震が必ずくると言われている稀な世界的大都市である。南関東のどこかで、マグニチュード7の地震が30年以内に約70%の確率で発生すると予測されていて、それは東京という大都市の真下でも発生することを意味している。

 東京は、いわばいつかは大きな利子をつけて支払わなければならない債務を抱えていながら、とりあえずはそれを支払猶予(モラトリアム)で先延ばしにされている、言ってみればモラトリアム都市だ。人々は恐れながらもそれは確定的な未来ではないことにして、その間に都市は海へと、そして空へと増殖してゆく。

 それも地盤が磐石な北東部へではなく豆腐のような地盤の臨海部へ、そして限りなく不安定な高い空を目指して繁茂してゆく。お台場、有明、汐留、そして丸の内、日本橋、原宿、六本木と次々にきらびやかな高層建築物と街並が出現してゆく。

 今東京都が「TOKYO強靭化プロジェクト」なるものを推進しつつあるが、喫緊でやらねばならないことも山積している。例えば地震の際に真っ先にぼくらを頭上から襲ってくる、ビルから突き出た袖看板などは法的規制も甘く見逃されている感じもする。

 ぼくもカミさんも東京生まれの東京育ちだからここが故郷なわけで、何があってもほかに行き場もないのだけれど、与えられたモラトリアム期間のうちに是非とも災害に強靭な都市になってほしいと願っているが…。
 


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 *以前、留学期間を終えて故国に帰る留学生に、時々は彼らが暮らしたこの東京のことを思い出してほしくてこのブログのAnsicht TOKIO(東京の眺め)というコーナーで撮りためた写真をスライドショーにしてDVDで渡したことがあります。

 その時の動画をYouTubeで限定公開にしてアップしていたことを思い出したので下に載せました。東京のできるだけ多様なスポットを入れたいと思い、ちょっと欲張りすぎてバックに東京にちなんだ曲が3曲も入って13分の長尺になってしまいました。冗長ですが、お時間の許すときにでもご覧いただければ嬉しいです。
 

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posted by gillman at 14:06| Comment(13) | Ansicht Tokio | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月23日

父からの便り

父からの便り
 
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 今年の暑く長い夏もようやく終わろうとしている。父も母も他界したのは九月だったので、それからは暑さの想い出はいつもほろ苦い味がする。これからの夏はますます暑くなるだろうから…。幸いと言おうか、父も母も生前はこんな狂気じみた酷暑が当たり前の時代になろうとは思わないで逝ってしまった。

 21世紀になってまだ二十余年にして大きな変化がひたひたと近づきつつある気がする。20世紀末、日本のバブルは剝げたけれど、当時のぼくには来るべき世紀への明確な期待もなかったかわりに、形になった不安も見えていなかった。ただ、当時教えを受けていた永井陽之助先生の21世紀はテロと地域・民族・宗教間戦争の時代になるだろうという言葉が能天気なぼくの頭を打ちすえたのを覚えている。

 その21世紀になったばかりのある日、一通のハガキが届けられた。それはハガキよりひとまわり大きな透明のファイルに入れられていた。昭和60年(1985年)9月30日の日付だった。送り主は父で、文面から父は7月22日にこのハガキをしたためていたことがわかる。父は当時開催されていたつくば科学万博にいって会場から「20世紀の私から、21世紀のあなたへ」というイベントでぼくとカミさん宛のその便りを書いた。

 つまりそのハガキは16年後の21世紀、2001年になってから配達されるというものだったらしい。父からはそのハガキのことは聞いていなかったので受け取ったときは驚きもしたし、感慨深くもあった。内容は家庭を大事にして暮らしなさいというようなものだけれど、最後に自分が海外旅行をしたようにこのハガキが着くころにはぼくらも月旅行にでも行けるようになっているかもしれないと結んでいる。

 その頃もう老齢だった父にとっての21世紀という新しい世紀の距離感がなんとなく漂っている。父は残念ながらこのハガキを投函した10年後の夏に他界した。父は根っからの職人だったから手紙を書くというようなことはほとんど無かった。覚えている限りぼくが父から何らかの便りをもらったのはこれを含めても二度。

 一度はぼくがまだ二十歳過ぎのころドイツに居る時に手紙をもらったことがあった。ぼくは下町の育ちだったから父のことはずっと「とーちゃん」と呼んでいたけれど、さすがに二十歳を過ぎてからは「おやじ」と呼ぶことが多かったけれど、でも面と向かって「おやじ」と呼びかけたのは記憶にない。

 当時のその手紙の文面はいかにも父らしかったけれど、一番驚いたのは手紙の中でぼくのことを「君(キミ)」と言っていたことだ。家では子供の頃からずっと父にはぼくの呼び名の「ケン」で呼ばれていたけど、手紙とはいえ「君」と呼びかけられると何とも言えない距離感を感じた一方、自分のことを客観的に見てくれるようになったのかと少し嬉しくもあった。

 父は酒を飲まなかったので一緒に暮らしていても酒を飲みながら親子で馬鹿話をするということはあまりなかったし、どちらかと言えば寡黙な父だったので「最近忙しいのか…」「うん、まぁ、何とかやってるよ…」みたいな、そばにいるからあたりまえの日常トークが殆どだった。今思うと、なんかもっといろいろと話しをしておけば良かったなぁと…。
 

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 *今思うと、確かに21世紀が情報通信や遺伝子技術などの科学の発展で多くの問題を解決してくれる世紀のようでキラキラと輝いていた瞬間もありましたね。つくば科学万博は21世紀が16年後といういわば射程距離に入った1985年という微妙な時代のできごとでしたね。

 つくば万博の"…つくば万博は、科学技術に対する理解と協力を深め、人類の輝かしい未来の創造に寄与することを目的とし、「人間・居住・環境と科学技術」を統一テーマに掲げ…"というパローレは今のぼくらの心には複雑に響きます。
 


 (2014年)

 
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2023年09月08日

晩夏光

晩夏光

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 晩夏という言葉は情緒があってぼくも好きな言葉だけれど、歳時記や暦の上では、晩夏とは立秋(今年は8月8日)の何日か前から処暑(しょしょ)を過ぎた9月初め頃までとされているらしいが、何だか段々と、と言うより急速にぼくたちが今体験している季節との乖離が広がっている感じがする。

 本来は頭の中で、過ぎてゆく夏の体験をリフレインしつつ晩夏の情緒に浸りたいところだけれど、日中には34度を超すようではそんな気にもなりにくい。とは言いながらぼくが公園散歩の中でずっと感じてきたのは季節の変化というものは、例えば夏であればまさに盛夏の時からその兆しがみえているという実感だ。

 昼間のうるさいような蝉の声がある一方で、早朝に散歩するとそこここの茂みから虫の集く声が聞こえてきたり、でも昼間はまだ蝉の天下だ。また写真を撮っていると、あ、光に力がなくなってきたなぁ、とか…。矛盾するかもしれないけれど、季節の移り変わりはシームレスに動いているという感覚と、あ、今日からはっきり秋になったなという感覚と、その両方をいつも感じている。

 先人たちもそういう感覚があった、というより自然と共に生きていたから今のぼくらの数倍そういう感覚は鋭かったのだろうと思う。「晩夏光(ばんかこう)」という言葉も、夏のある日ふと気が付くと日の光が盛夏の時ほどの力がないということに気づいて季節の移ろいを感じるということなのだ。
 
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 ということで今年の夏は今しばらく続きそうだけれども、現代日本人にとって夏は祈りの季節でもある。原爆投下、終戦という出来事そしてお盆さらにお彼岸(歳時記的には秋だが…)と頭を垂れて祈ることの多い季節だ。ぼく自身についても父も母も九月に他界している。夏になるとその時のことが頭をよぎる。

 この歳になると桜の季節を迎えるとああ今年も生き延びたなぁ、という感慨が湧いてくるけれど、目の眩むような暑さの夏が終わろうとする晩夏には、暑さを乗り切った疲れとそれでも親や先人のおかげで今日も生かされているという感謝が湧いてくる。

 ■祈りとは 膝美しく折る 晩夏 (攝津幸彦)
 

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 gillman*s  Park (Youtube)
 
 

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*この夏公園散歩を再開した時、いつも散歩の最後に休憩する湖畔のベンチからの光景をスマホの動画で撮りました。今はここがぼくの散歩の目的地です。早くここからさらに丘の上まで行けるようにとリハビリをしています

**晩夏光としての句は角川春樹の下の句が好きです。
 ■存在と 時間とジンと 晩夏光 (角川春樹)

and also...
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2023年08月30日

盛夏

盛夏

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 元来、盛夏と言えば梅雨明けから八月中旬くらいまでで、今頃の時候は残暑とか晩夏とかの表現がふさわしいのだろうが、今年はどうしてどうしてまだ盛夏、それも夏の真ん中みたいな気になる。うんざりだけれどこればかりはどうすることもできない。蓮池をのぞくと池の上にはまさに盛夏の空が写りこんでいた。

 その日は作夜来の雨があがって台風一過とはいかないが、晴れて少し涼しい風が吹いていて気持ちいい朝だ。季節は時には牙をむいて襲って来るけれど、人に力も与えてくれることがある。多少苦しい思いはしても毎朝この蓮池に来るのが楽しみで、その度に季節に力を貰っているような気がする。

 池の畔の落羽松の林にはたくさんの気根が地上に顔を出しているので、よちよち歩きの自分は気を付けないと足をとられる。昨日の雨で、大分水位が下がっていた池も元に戻って、通路にはそこここに水溜りが出来ている。木漏れ日の向こうの小さな丸い空。
 
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 半年近く途絶えていた公園散歩を半月くらい前にやっと再開したけど、なかなか思うようにはいかない。早朝散歩に出て痛みをこらえながら今日はやっと池の北側のベンチ迄辿り着いた。ここはぼくの以前の散歩コースの最後の休憩処だったのだけれど、今のぼくには辿り着くべき一つの目標になっている。調子がいまいちの時は此処にも辿り着かない。

 それもショートカットのズルをしての到着で、今までは渡らなかった信号を渡って池に向かう。それでも、以前通りの光景と静謐な時間に浸れるのはほんとうにありがたいことだ。池の向こうに広がる空に真夏の証しの雲が浮かんでいる。お散歩カメラはまだ持って歩けないのでスマホで我慢だけれど、それでもシャッターを押す喜びは蘇って来る。

 今まではほんの目と鼻の先にあると思っていた場所がどんどん遠ざかっていった。公園も今までは入り口まで数分で行けたのが、今はまずはその入り口までたどり着くことが大変な作業だ。やっと今までの散歩の終着点である池の畔のベンチ迄辿り着けるようになったけど、それは何度もの休憩を挟みながら痛みとの妥協点を探りつつの道のり。でもここのベンチはぼくにとってそれだけの価値がある。毎朝、この静謐な空気に出会えるというのは、それだけでも感謝しなければならない。この光景に元気をもらって前を向いてリハビリに励みたいと思っている。


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 ■ 鯉池の 底に鯉の歯 夏旺ん (辻桃子)


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 *前の日の晩雨が降って、明日の朝は雨だろうと勝手に決めて寝たのだけれど、朝起きたら晴れていました。散歩をサボれると思ってちょっとがっかりしたけれど、ステッキをついて家を出だします。出るまでは億劫だけれど蓮池の処までくれば来て良かったと思うのだけれど…。

 腕にはめているスマートウオッチが何度も耳元で「心拍数が早すぎます、呼吸を整えて下さい」と連呼します。少し立ち止まってから息を整えてまた歩き出す。以前の歩幅は65センチくらいだったが、今は45センチくらい。よちよち歩きのレベルかなぁ、と。まぁ、前を向いている限り何とかなると思っていますが…。


 
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2023年07月29日

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その44~

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その44~
 

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 ■ 猫と人間の新たな関係を成功に導く鍵は、忍耐である。(スーザン・イースタリー)
 The key to a successful new relationship between a cat and human is patience. (Susan Easterly)


 レオは牛乳が好物で、特に明治の「おいしい牛乳」が好きだ。朝晩のご飯の後何回かそしてお昼にも小皿一杯の牛乳を飲む。一回分は量が少ないけれど一日にすると結構な量になるかも。

 厄介な事は、牛乳パックの大きい方でも小さい方でも残りが三分の一位になると。「これ古いよねっ」という感じでプイと飲まなくなってしまう。もちろん賞味期限は十分残っているのに…。

 仕方なく買ってきたりして新しいのを出すと、一口飲んでブルっと身体を震わせて「これ、これ、これじゃなくちゃ」みたいな感じで飲んでいる。残った古い(レオにとっては)牛乳は結局ぼくやカミさんが飲むことになる。

 昨日もお昼にあげた牛乳にまさかのダメ出し。買いに行くったって外は37度近くの猛暑。歩いていくことはできないけど、車だって億劫なことに変わりはない。でも、レオは頑としてキッチンから離れず鳴いている。根負けして車に乗る。

 う~ん、なんか映画「ロンググッドバイ」(The Long Goodbye[1973])のイントロを思い出してしまった。チャンドラーの私立探偵小説フィリップ・マーロウ・シリーズの映画化だが、イントロではマーロウが飼い猫に振り回されるシーンが延々と続く。

 疲れ果ててベッドに倒れ込んでいだマーロウは、夜中に自分の飼い猫にお腹が空いたと起こされる。いつものキャットフードが切れているので、キッチンにあったそこら辺の缶詰を手当たり次第に混ぜ合わせて即席のキャットフードを作るが、そんなもの食えないと猫に拒否されてしまう。

 マーロウは渋々キャットフードを買いに夜の街に出て行く。スーパーに行くも飼い猫の好きな銘柄の猫缶が今日は品切れ。スーパーの店員が「ほかのやつでも大して変わらないョ」と言ったときに、マーロウは「ははぁ、こいつは猫を飼ったことがないんだな」とつぶやく。

 仕方なくそれを買って、家に戻ってその違う銘柄の猫缶をお気に入りの猫缶の空き缶に入れ替え、「ほら、いつものやつだよ」と言いながら差し出すも、猫に見抜かれて無視され猫ドアから出て行ってしまう。茶虎の猫の演技がマーロウ役のグールドに負けず渋い演技だ。

 で、レオ牛乳の件は何とか…、レオは手がかかる猫だ。今の時期は冷房は嫌いだけと暑がりなので、冷房の時期になると玄関のタイルとか浴室のタイルの上とかで寝ている。ということで真夏になると冷えたアイスパックをタオルにくるんで廊下に置いてやると枕にして寝ている。

 猫のトイレは二か所あるんだけど、ちょっとでも汚れていると「汚れていたので他所でしました」なんてことがしょっちゅう。フローリングの上はまだ良いけれど、絨毯やソファの上にされると即、救急掃除隊(ぼく)の出動となる。トイレは日に何回も掃除する羽目になる。

 毛玉は出来てもブラッシングは大嫌い。全く手のかかる…。確かに、猫ケアの指南書"Your Older Cat"の著者スーザン・イーストリーの言うように「猫と人間の新たな関係を成功に導く鍵は、忍耐である」かもしれない。でもその忍耐はいつも苦痛とは限らない、それどころか時には愉悦ですらある、と言うのがおおかたの猫飼いの心理なのだと思う。 
 

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2023年07月09日

五月闇

五月闇(さつきやみ)
 
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 ■ 切りこぼす 花屑白し 五月闇 (長谷川櫂)

 もう何か月も公園に散歩に行けていないので、自分の中から季節感が段々と薄れているのが感じられる。と言っても闇雲に季節感を取り戻そうとしている訳ではないけれど、それでも季節感に触れたいという気持ちがあってか最近はよく手元の俳句歳時記をみることが多い。

 

 母の使っていた俳句歳時記が何冊かあるのでそれをよく覗いていたけど、そのうちの一冊は如何にも字が小さい。母も晩年はそれはよく見えなかったんじゃないかと思う。ぼくもそう言う歳になったという事だな。

 

 角川版の四季別で分冊になっている歳時記のデカ文字版があるので今はそれをよく見る。そのうちの「夏」巻は電子書籍のKindleでも買ってみたが、やっぱり歳時期は紙の本の方が親しみが持てる。Kindle版の方はまた旅行に行けるようになったら旅先で読んでみたい。

 

 歳時記を見ながらつくづく感じるのは、季語というのは日本人の季節感の精髄のようでどの言葉にも言霊が宿っているという事だ。俳句は詠めなくても、その言葉に出会うだけでも何か心の琴線に触れてくるものがある。

 

 ぼくの好きな夏の季語の一つに「五月闇(さつきやみ)」というのがあるけど、これは五月というよりは梅雨の合間のいやに暗い日を指しているので、今頃も通じる季語だ。

 

 梅雨の降るころの厚い雲に覆われた、昼夜を問わぬ暗さをいう。ちょっとジメッとした闇の空間を思い浮かべて日常にありながらどこかに潜む異空間を感じさせるし、これは他の季語同様多分に心的な意味も含んでいるような…。長谷川櫂のこの句はその五月闇の中に白い花がポロッと溢れた刹那がイメージとして浮かんでくる。好きな句だ。

 


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 *母はよく俳句を詠んでいたけれど、ぼくは観賞専門で詠むことはないが、人生で折に触れて自分の好きな句が少しづつ増えてゆくのは嬉しい気がします。そういう句の中の季語のイメージが写真で捉えられたらいいなあと思うのだけれど、とても難しいなぁ。


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2023年06月13日

備えあっても、憂いあり。

備えあっても、憂いあり。
 
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 まともに歩けなくなってからリハビリ病院とスポーツクラブを行き来する毎日がもう二月以上も続いている。状況は一進一退だけれど、歳だと諦めたらお終いだしリハビリはこれが初めてではない。自分で「手を抜かない無理しない諦めない」というリハビリの三原則を作ってやっているけど、時々落ち込むことも、まぁあるのは仕方ない事だ。

 こうなった一因は長く続いたコロナ自粛生活にもあるのだけれど、それも5月8日からは新型コロナが「5類相当」に移行されたということで新しい段階に入ったことになる。と言ってもコロナがなくなった訳ではなくて感染者の数字をとらなくなったので本当はどの位流行っているか分からないといった方が正しいと思う。

 何はともあれ少しでも動きがとれるようになってきたというのはありがたい事ではある。去年の12月、友人と二泊三日で房総半島へ行った頃はまだ冬の流行時期に差し掛かる頃でヒヤヒヤだった。万一旅先で罹ったら検査もままならないということで、友人と二人分の検査キットを含めたコロナ対策ポーチなるものをこさえて持って行った。

 中身は、①予備のマスク、②体温計、③パルスオキシメーター、④タイレノール(アセトアミノフェン系解熱剤)、⑤新型コロナ抗原検査キット(医療機関用)その頃は、コロナ熱に効くといわれていたアセトアミノフェン系統の解熱剤が品薄になっていたので、以前買っておいたのがあってよかった。

 結局その時はそのポーチのお世話にならなくて済んだのだけれど、最近になってそのポーチの出番が回ってきた。今月初め6回目のワクチン接種を受けて、また何の変化もないねぇ、などと言っていたら翌々日から39度近い熱が続いてひどい目にあった。今まで5回のワクチン接種は何の副反応もなかったけれど、6回目にして大当たりという感じ。

 今まで副反応にあったことがないのでワクチンを打った日から類推するしかない。医者に行くにも5類になってからはどこも発熱を伴う症状については予約をしないと診てもらえない。巷では5類になればどこでも診てもらえるようになる、という説と逆に感染拡大を恐れてどこでも診てもらえなくなるという説の両方を耳にしたけど、実際の所は電話予約をして大抵の場合尚且つ自分で抗原検査をして確認してから来院という手順が多いようだ。

 ぼくの場合は多分に副反応の可能性が強いし、ベッドから起き上がるのも無理だったので結局手元にあった解熱剤を飲んで熱が下がるのを待った。なんとか三日目に熱が下がってきたので医者に行かずに済んだのだけれど、今度はぼくと入れ違いにカミさんが39度近い熱を出した。

 この判断は難しい。カミさんもぼくと同じ日にワクチンを接種したので副反応にしては日が経ちすぎているし、かといってぼくの副反応が伝染することなどありえないから、今度はインフルエンザかコロナかそれとも風邪かという難しい局面になった。

 一晩中熱でうなされているカミさんの隣で、ぼくは頭の中で翌日のシミュレーションを繰り返した。朝になったらカミさんの熱を測って、パルスオキシメーターで酸素量を測って抗原キットでチェックしてから、近くのかかりつけ医の発熱外来に電話をする。ぼくのときは土日に当たっていたからクリニックはやっていなかったけれど、明日は月曜なので大丈夫なはずだ、等など。

 幸い朝になってカミさんの熱は下がったのでぼくのシミュレーションは無駄になったけれど、なんだかまだまだ安心して暮らせる状況ではないのかな、と思い知った。
 

 
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 *実は、高熱の後遺症からやっとリカバーしかけて、週初めの夕方から突然首の痛みが出て、翌朝には激痛で起き上がれなくなってしまった。いわゆる「ギックリ首」(急性頚椎捻挫症)だと思うんだけど…。

 

 今のところ手に強い痺れが出ていないので良かったのだけれど、痺れが出てくるようだと単なるギックリ首ではなく、頚椎の手術で入れている人工骨周辺の経年劣化異常の可能性があるので厄介。以前リハビリ病院のCTでも指摘されているのでなんとか持ちこたえてほしい。なんか今月は痛い痛い月間みたいな…。

 

 

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2023年04月27日

またまたマンホールですが…

またまたマンホールですが…
 
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またまたマンホールの話で恐縮なのだけれど…。旅先のマンホールとの出会いはそのデザインや刻み込まれている文字などでその土地の歴史や特色を知ることが出来るという楽しみもあるけれど、時にはマンホール自体の情報からぼくらの足の下に広がる今まであまり考えていなかった世界に誘われるという事もあったりして…。

 上の写真はバルト三国のラトビアの首都リガ(またはリーガ)にあるマンホールなのだけど比較的新しいもののようだ。余談になるけれどリガには色々な時代のマンホールが残っていて蓋フェチにはたまらない街だ。リガの人はソ連時代のものはもう見るのも嫌だという風情なのだけれど、足元にはちゃんとソ連時代のマンホールが残っていたりする。(そのうち一度サイドバーの方で特集したいなぁ)

 それはともかくとして、上の写真のマンホールには「Pipelife」という文字と「EN124」それに「D-400」という文字が刻み込まれている。ぼくは街でこういう意味不明な記号や番号を見かけると、その意味が知りたくて夜も眠れなくなるという性癖があって…。旅先で観たマンホールについて旅から戻って色々と調べるのも楽しみの一つだ。

 まず「Pipelife」というのはオーストリアに本社を置くマンホールの会社の名前で、同社はヨーロッパで手広く展開しているので時々見かけることもある。次に「EN124」というのはマンホールの欧州統一規格のことで、強制的ではないが今では広く使われているマンホール規格の一つだ。20世紀の末に当時ドイツで使われていたDIN1229(ドイツ産業規格)を発展させて作られたらしい。メーカーにとってはわが社のマンホールはEN124に準拠しています、といえばその品質を理解してもらえるのでありがたいはずだ。

 ここからは、マンホールに興味のない向きにはつまらない話になるので、読み飛ばしていただけるとありがたい。次の記号「D」はその欧州統一規格EN124におけるマンホールの蓋のカテゴリーDにあたる、ということでこの蓋は「道路や公共の駐車場など、大型商用車と同等の荷重がかかる場所」に設置されるものでその基準をクリアしている必要がある。

 次の「400」というのはカテゴリーDに要求されるいわゆる耐荷重性能が400kN(キロニュートン)以上なければならないということで、正確ではないけれどざっくり言うと40トンの重さに耐えるものであるということらしい。但し、この耐荷重性能の測り方は一点に荷重して測る場合や、複数の点に加圧して測ったり、落下荷重で測ったりといろいろあって、難しいらしい。EN124と同様のマンホールの日本での規格であるJIS A 5506でもその荷重性能の基準は異なるらしい。

 この耐荷重性能で一番厳しいのはカテゴリーFの「空港や重工業用地など、航空機の滑走路に相当する荷重がかかる場所に使用する」とされる蓋で900kN、約90トンの耐荷重が要求されるらしい。(らしい…、が連発されているのは何分素人なのでちゃんとした知識もなく、後で誤りを指摘されて叱られた時の保険ですw) 


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 ぼくらはマンホールの蓋に記された模様や紋章や絵などをただ楽しんでいるけど、これらは単なる飾りではなくれっきしとた機能があって、それは雨などで濡れた時滑りにくくするという大事な機能を担っている。

 上の写真はぼくの好きな街でドイツのGoslar(ゴスラー)という小さな街のマンホールだ。ゴスラーはローマ時代から銀の鉱山で栄えた街で現在は資源が枯渇して鉱山は稼働していないけれど、この街も含めて今は世界遺産に指定されている。で、このマンホールを見ると「えっ!」となる。

 マンホールの統一基準には大事な性能指標として耐荷重性と同時に耐滑性能、つまり雨でぬれた時にどれだけ滑りにくいかという大事な機能を評価する項目がある。歩道であれば人や自転車の転倒、道路ではオートバイなどが特に雨の日はマンホールがすべっては転倒の危険がある。ある意味では即人の命に直結する機能である。

 この写真のような坊さんの頭みたいにツルツルでは危なくてしょうがない。EN124ではこの耐滑性能の測定を英国式振り子試験(BPT)というゴム製のスライダーを取り付けた振り子を試験面上で移動させ、スライダーが発生させる摩擦力を測定する方法をとっている。耐滑性能の測定にはいくつか方法があってJISでは靴底も使ったりまた違った方法で測定している。また経年変化で耐滑性は劣化するのでその点も注意が必要だ。

 これを考えたら上の写真はどう見たって耐滑性能では合格はしないと思うのだけれど、それは当然文化財保護の違った観点から保存使用をしているのだと思う。今日本はカラーマンホールが全盛だけれど、この耐滑性能という面でいったら果たして大丈夫かと思うようなデザインも時折見かける。

 確かに日本では、国土交通省が都市計画や地域計画におけるカラーマンホール蓋の使用に関するガイドラインを制定しており、その中には安全性や機能性を確保することとはなっているけどデザイナーがどこまで理解しているかは定かではない。しっかりと安全な蓋を作って欲しいものだ。

 下の写真は東京ならどこでも見かけるぼくも好きな東京都のマンホールで、表面には東京都のシンボルである桜とイチョウとユリカモメがデザインされているが、デザインのへこんだ部分に水が溜まったり、その水抜けの良さなど耐滑性を確保するために何度かデザインを変更した経緯もあるらしい。マンホールは一義的には都市の安全と人の命を守るものであるという視点は忘れられるべきではないと…蓋フェチとしては思うのである。
 

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 *EN124の正式名称は、"EN 124:2015 - Gully tops and manhole tops for vehicular and pedestrian areas - Design requirements, type testing, marking, quality control"(車両用および歩行者用のガリートップ・マンホールトップ - 設計要件、型式試験、マーキング、品質管理)というものです。こでいうガリートップとはグレーチングやフレームなどのすのこ状の蓋も含みます。下のガリートップはフィレンツェで見かけたもので良いデザインだなぁと思いました。

また右のカラーマンホールはウチの近所にあるものですが、足立区とオーストラリアのベルモント市は姉妹都市になっているので、オーストラリアの国鳥であるワライカワセミをデザインしたものです。同じようにベルモント市の黒鳥をデザインしたマンホールも隣に並んでいました。
 

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2023年04月09日

Manholerあるいは蓋フェチ

Manholerあるいは蓋フェチ
 
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 マンホール愛好家のことを最近はManholer(マンホーラー)もしくは蓋フェチとか蓋バカ、蓋女(フタジョ)なるものまで出現しているらしい。以前だったらマンホールを愛好するという事自体「なんで?」という奇異な目で、新種のオタクを見るような眼差しを感じた。

 ぼくは二十年くらい前から、国内外を旅行した時はその町々のマンホールを写真に撮っていたのだけれど、その度に一緒に行った人間や周りの人から何を撮っているのかと訝られた。そんな感じだったから撮った写真は殆ど他人にも見せないで自分一人で酒でも飲みながら悦に入っていたのだが…。

 それが今ではインスタグラムなどのSNSではマンホール専門のアカウントが山ほどある。日本ばかりでなく世界中のマンホールが載っているけれど、その中でも最近は日本のカラーマンホールが目を引く。ご当地の風景や風物詩だけでなくアニメや漫画のデザインまである。各自治体もマンホールカードなどを作りそれを集めるのがまたマンホーラーの楽しみでもあるようだ。

 ぼくの住んでいる街にもそこここにカラーマンホールがあって、日本でもカラーマンホールの導入が早い方だった。でもぼくはあまりカラーマンホールには拘らない。というかもっと生活の中に溶け込んだデザインや歴史的要素みたいなものに魅力を感じる。

 考えてみるとぼくが最初にマンホールに魅せられたのはドレスデンなどドイツの歴史的な街並みの石畳に囲まれたマンホールの美しさだった。大抵がその街の紋章が鋳鉄に彫り込まれ、それが時間とともにいい具合にすり減っている。(2枚目の写真)

 もちろんマンホールにはもともと期待される大事な役割があって、まずはそれを満たしてからの話なのだけれどその最たるものがその丸い形に現れている。中には四角いものもあるけれど、蓋の部分が穴の中に落ちないということを第一に考えれば丸い必要がある。またman-holeというように人が入れる穴でなければならないので丸い方が入りやすいということもある。

 さらに下水などが豪雨などでオーバーフローした時にマンホールの蓋が飛ばないように水を逃がす機能も必要だ。そこら辺の機能は昔のより今のマンホールの方が良くできている。下の3枚目の写真はぼくの好きなドイツのバンベルクの特徴的なマンホールで石も使ったデザインが素敵だし水を通す穴もちゃんと開いている。

 マンホールは時の流れも教えてくれることもある。バルト三国のラトビアの首都リガにはソ連時代のマンホールが結構残っていてそれが今でも使われている。(下のマンホールリスト写真の2枚目の「K」の彫られているマンホール) またバルト三国のエストニアに行くとフィンランド製のマンホールが多く、ここはある意味ではもう北欧経済圏なんだなぁという感じもする。

 最初の写真はリスボンの裏町で撮ったマンホールの写真なのだけれど、サンダルを履いた太っちょのおばさんの足元と何気に可愛いマンホールの模様のアンバランスが楽しくて思わず撮った。生活の中のマンホールという雰囲気が好い。ぼくはマンホールカードを集めるような熱心なマンホーラーではないけれど、これからも素敵な蓋と出会えるのを楽しみにしている。

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2023年03月30日

年年の桜

年年の桜
 
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 五年くらい前に股関節のトラブルや筋肉の低下などで殆ど歩けなくなっていたのをリハビリで二年かけてやっと人並みに歩けるようになったのに、この三年間のコロナのお籠りですっかり逆戻りして二ケ月ほど前から痛みで普通に歩けなくなってしまった。というわけで、一からやり直しで今は理学療法士によるリハビリとスポーツジムでのプール歩行などで復調に励んでいる。

 気が付いたらもう半月以上も公園散歩に行っていない。一度カミさんに付き添われて公園に行ったけれど途中でギブアップ。もう少しリハビリしてからでないと…、と思い知らされた。昨日医者の帰りに公園の脇を車で通ったらもうソメイヨシノも満開みたいだ。明日足の調子が良ければ公園の桜の所まで行ってみようと思っているけれど、朝起きてみなければ分からない。

 お散歩カメラもほとんど触っていなかったけれど、今見てみたら河津桜の咲いたころの写真が整理しないでそのままになっていた。ちょっと前なのにもう何か凄い昔の過ぎ去っていった春のような感じがする。この歳になると年年の桜は特別な意味を持っている。その年も生き延びた証みたいな…。

 さまざまの事 おもひ出す 桜かな (松尾芭蕉)
 

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posted by gillman at 13:49| Comment(15) | gillman*s park | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする